2022年10月25日(火)

「MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」関連イベント 「担当学芸員と巡る手話通訳を介した鑑賞会」レポート

2022年9月11日(日)、 「MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」の関連イベントとして、手話通訳を介して展覧会や作品を鑑賞するプログラムが開催されました。

本プログラムは、手話を主要なコミュニケーション手段とする方を対象に、展覧会担当学芸員が展覧会や作品の解説を行い、参加者と意見を交わし合いながら鑑賞するものです。今回は2名の方が参加し、出品作家も交えて鑑賞会が行われました。

本プログラムの様子について、2022年度MOTインターンの早川が、所感を交えてレポートいたします。

今回のMOTアニュアルでは、大久保あり、工藤春香、高川和也、良知暁の4名のアーティストを迎え、言葉や物語を出発点に、語ることの困難さに向き合いながら模索するアーティストの試みが取り上げられています。

当日は大久保さん、工藤さん、高川さんが来場し、自身の作品に関する説明や参加者との質問や意見が交わされました。良知さんからは、参加者への手紙という形でメッセージを受け取りました。

これより、鑑賞会の様子をレポートしていきます。


[鑑賞会]
高川和也《そのリズムに乗せて》

鑑賞会は、高川さんの作品からスタートしました。

高川さんの作品は、自身の過去の日記にある欲望や苦悩を、ラップに挑戦することで表出していく映像作品です。
作品は、鑑賞者に映像の中の音や言葉に耳を澄まし聞いて欲しいという作者の意図があり、日本語字幕をつけていませんでした。そのため、参加者には映像から書き起こした文字情報を事前にお送りしました。

担当学芸員の作品解説の後、高川さんから参加者に、手話を使う方の感覚や感じ方、通訳という行為についていくつかの質問があり、意見が交わされました。
「通訳を介しているけれど、身振り手振りなど、言葉の意味以外のものも伝わるのか」という高川さんの問いかけに対しては、「(話し方の)強弱はわからないけれど、表情で全体の感じがわかる」「言葉に詰まっている所なども手話を通じてわかる」という返答がありました。

そのようなやり取りを目の当たりにして、手話には、「言葉を選び悩んでいる間」を表す表現があることに驚きました。

また、話す人にも話す癖があるように通訳にも癖があるのか、その場合誰が語っていることになるのか、という事も話題に上がりました。本展のテーマでもある「語ること」と通訳の関わりについて向き合うための気づきとなりました。

工藤春香《あなたの見ている風景を私は見ることはできない。私の見ている風景をあなたは見ることはできない。》

工藤さんは、旧優生保護法や相模原殺傷事件、障害者支援施設を出て自立生活をしている方へのインタビューをもとにしたインスタレーションを展示しています。

担当学芸員や工藤さんからの丁寧な解説に真剣に耳を傾けつつ、作品をじっくり見ている参加者の様子が印象的でした。
展示空間に関して、内側のソファが障害者施設での共同生活、外側のソファが自立生活の様子を表している、といった説明を受けた際には、「Tシャツが何で飛んでるのか不思議だったけど、説明してもらって納得した」と参加者の一人が述べていました。

工藤さんの母親が手話通訳士を目指していた時期があり、その影響で工藤さん自身が手話を学んでいた時期があったといいます。
工藤さんの言った「知りたいのに簡単には知ることができない」との言葉からも、様々な立場の人同士が分かり合うことの難しさを受け止めつつ向き合い続けることの大切さを感じました。

大久保あり《No Title Yet

大久保さんの作品は、過去13の作品を切り貼りし、展示全体を一つの小説として編纂した展示です。
大久保さんは、自分が物語を書くとき、物語自体はフィクションだけれど、その出発点は常に事実だといいます。

学芸員からの「作品を体験してどんな感覚がありましたか」との質問に対して、参加者の一人は、「自分の気持ちによって見方が違う」「文がシンプルだと、(その文章を)語る人がどんな人か読み取るのが難しい」との返答がありました。それに対し大久保さんからは、「ある男、という言葉からでも思い浮かべる人は人によって違う。自由に想像できるようにしている」と応えがありました。
また、もう一人の参加者からは「ものと文章がつながっていく、その世界の中に入ってしまうという感じがする」との感想がありました。

「本当」から生まれた「うそ」の物語において、誰が語っているのか。その言葉の主語を曖昧で不確かなものにしているからこそ、いつの間にかその物語の主役が「私」となっているのかも知れません。

良知暁《シボレート/schibboleth

最後に、良知さんの展示空間にて、参加者とアーティストが椅子に座る形で最後の作品解説が始まりました。

良知さんの作品では、読み書きや発音といった言葉の持つ要素が、識別の装置として用いられていた出来事を扱っています。
展示の中には、言葉による識別の過程で失われてきたものを忘れないために、そして立ち止まって考えるための装置として、テキストやものが置かれています。

作品の一部に発音記号が使われているため、担当学芸員が言葉でその発音について説明するなど、工夫をこらしながら作品解説が行われました。

良知さんは来場することが叶わなかったため、手紙で参加者にメッセージを伝えました。
ただし、作者からの手紙を参加者に直接渡すのではなく、担当学芸員が手紙を読み、読んだ内容を手話通訳する形で参加者に伝えました。
手紙の中では、関東大震災で起こった「15円50銭」の発音の差異による人種判別では、吃音者やろう者の方も対象となったことに触れ、「その発音が正しいかは、誰も判断できない」と綴られていました。

手紙をダイレクトに渡さず、「音」にする過程を通して伝えることを選んだ良知さんの行為に対して、言葉とは何か、深く考えるきっかけとなりました。

鑑賞会を終え、参加者からは、「感動で胸がいっぱいで言葉が出てこない」「今日でもっと深く作品を知ることができました」と感謝の言葉をいただきました。

おわりに

今回の鑑賞会の中で印象的だったのは、「担当学芸員の方が、アーティスト本人の横で作品の話をしていることも通訳ですよね」という参加者の方の言葉です。
日常の会話の中で他者や物事について誰かに伝えることも、手話通訳や他言語の通訳なども、同じ「通訳」なのではないか。
「通訳」という行為は、特別なものではなく、私たちの日常に遍在する行為であることに改めて気付きました。

また、手話を主なコミュニケーション手段とする方に作品鑑賞を楽しんでもらうための鑑賞環境に関しても、改めて意識を向けるきっかけとなる鑑賞会となりました。
映像作品の字幕に関しては、既に多言語へのサポートが行われてきている作品も多いですが、聞こえない方や聞こえにくい方にとっては、日本語字幕も作品の内容を知り、鑑賞する上での重要な要素の一つとなります。
加えて、発音や音、当事者への出来事の伝え方など、作品をどう語り伝えるか。
本展の重要な要素である「語る」ことに関して、これからも考えていくことが重要だと感じました。
(MOT2022年度インターン生 早川綾音)

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