「ダムタイプ|アクション+リフレクション」関連プログラム
浅田彰×坂本龍一×高谷史郎 スペシャルトーク(記録)
2019年12月21日に東京都現代美術館で開催された「ダムタイプ|アクション+リフレクション」関連プログラム 浅田彰×坂本龍一×高谷史郎 スペシャルトークの記録です。
【長谷川】 私は、今回「ダムタイプ|アクション+リフレクション」のキュレーションをしました、長谷川と申します。展覧会を見ていただいた後で、今日はダムタイプについて三人の重要な方たちにお話を頂きますが、まずこの展覧会が、どういう経過で成立したかということをお話ししたいと思います。
ダムタイプは35年間、いわゆるコレクティヴ―マルチメディア・パフォーマンス・グループとして京都で生まれ、そしていろいろメンバーが交代しながら展開してきたグループです。タイトルの「アクション+リフレクション」という言葉にもありますように、その時の時代時代に対して色々な革新的な視点を持ちながら、それを身体とメディアの新しい関係を絶えず更新しながら、それに対してパフォーマンス、そしてインスタレーションという形で展開してきました。
今回は「リフレクション」の方が非常に重要で、今あるものを、自分たちはこの時代の中で何を考え、何を自分たちの中で照射して、それを「アクション」として見せていくのか、そこの中にたえず時代との往還があります。そういう意味で彼らをコンセプチュアルなパフォーマンス・グループ、そしてアートの展示も行うという、非常に稀有な、日本において日本を代表するグループというふうに考えています。
今回、MOTで展示するにあたっては、昨年ポンピドゥー・メッスというポンピドゥー・センターの分館でやりましたダムタイプの個展で新作を作ってもらい、その新作に今回は2つ新作を加え、さらにアップデートする形で拡大して展示しています。
そして、やはり重要なのは、皆さんご覧になったところで一番最初に見ていただいた『プレイバック』。これは16台のレコード・プレイヤーで透明なVinyl音盤が自動的に回っている。その16台がネットワークで全て繋がっていて、一つ一つが自分の声を発する。でも個々のプレイヤーは他のプレイヤーがどんな音を出しているかを理解している。ネットワークの中で繋がり、お互いを理解した上で自分自身の声を出していく。
最初の80年代の『プレジャー・ライフ』というパフォーマンスを素材に、そういう、ある意味で非常に現代的なインスタレーションにしている、そういう風に作品は絶えず更新していくものという、ダムタイプの『ワーク・イン・プログレス』という非常に重要なポイントを、今回は皆さんに存分に見て頂けたらと思います。
後は、やはりパフォーマンスのアクチュアリティ。皆さん、実際のパフォーマンスをご覧になる時と、それからインスタレーションとでは、かなり温度差があると思います。実際に、インスタレーションだけだと物足りないと感じる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、同時に身体のアクチュアリティということ、そしてもう一つ、それがメディア・インスタレーションとどういうふうに違うのか――皆さんも多くのメディアによって、いろいろなリアルを感受されていると思いますが、その中で自分の中のリアリティ・記憶・身体はどういうふうに形成されているのか、そういうこともこの展覧会を通じてもう一度考えて頂けたらと思っています。
ダムタイプは、レトロスペクティヴの回顧という形は絶対嫌で、自分たちは現在も進んでいる、現在も、本当に進行形で進んでいる、そういうアクティヴなコレクティヴであるということを皆さんと共有したいというのが一つのメッセージになっています。
ということで、今回三人のスピーカーの方をお招きしました。
一人は坂本龍一さんで、80年代から古橋悌二さんのヴィデオ作品を通じてダムタイプをご存知だった方です。
もう一人、浅田彰さん。やはり80年代に『プレジャー・ライフ』を京都でご覧になって、一番最初の時からダムタイプと、本当にいろんな意味で素晴らしいダムタイプの批評家・プレゼンター・アドヴァイザーとして関わりを持って来られました。
そして、ダムタイプのメンバーの一人である高谷史郎さん。
この三人に今日はダムタイプの今までと、そして未来ということを存分に語っていただきたいと思います。
では、ご登壇お願い致します。皆さん、拍手でお迎えください。
【浅田】 今回、長谷川さんのキュレーションでダムタイプの展覧会が開催され、それを機に、長年のダムタイプ・ファンである僕と、いまやファンを超えてコラボレーターとなった坂本龍一さんとで、ダムタイプの高谷さんを囲んで、こうやって話をする機会が持てたことをたいへん嬉しく思います。
【坂本】 アーティストとファン談義って感じになっていますけれども。
【浅田】 1984年に京都市立芸術大学のさまざまな領域の学生たちが、ダムタイプというコレクティヴを結成して活動を始めた。僕は京都在住なので、最初期こそ知らないものの、少なくとも『プレジャー・ライフ』の頃からずっと関心をもってフォローしてきました。そこで、まずなんと言っても古橋悌二の存在に触れないわけにはいきません。
ダムタイプは、さまざまな領域のアーティストたちの共同制作を原則とするコレクティヴですが、彼が事実上、ディレクター格だったことは確かでしょう。僕はヴィデオ・アートに興味があり、彼のこともヴィデオ・アーティストとして知ったのだけれど、実際に会っていろいろ聞いてみると、実は夜になるとドラァグ・クイーンになって踊りまくっているらしい、ということがわかってきて、実際に観に行くとすごく面白かった。最先端のマルチメディア・パフォーマンスをやりながら、夜はクラブでクィア・ショーをやっている、日本にもこんなニューヨークにいそうなやつがいたんだな、と。
【坂本】 僕はむしろ、クィアとしての古橋さんを最初に耳にしたような気がするんですが。その界隈で。
【浅田】 後に大阪のクラブで古橋さんたちのやったクィア・ショーに一緒に行ったときは、「ローマかマドリッドみたいだ!素晴らしい!」って言ってましたよね。中心のないアーティスト・コレクティヴとはいっても、そういう意味で、特異な古橋さんという人がいて、その周囲に高谷さんのような人たちが自然発生的に集まって、星雲のように回転してるんだな、と思っていたわけです。
ところが、1960年生まれの古橋さんは、1995年に35歳の若さでAIDSのために亡くなってしまうーーーAIDSや性的マイノリティへの差別に対するラディカルな闘争を作品化し、『S/N』や同じ消滅の美学を美しくも儚い夢のように作品化した『Lovers』という世界的傑作を遺して…。正直に言うと、「中心人物を失った後、ダムタイプはどうなるのかなあ…」と危惧の念を覚えたわけですよ。
【坂本】 「あとを引き継ぐのは大変かな」と思いましたね。どうやって新たな作品を作っていくのかと。
【浅田】 そう、そこで最初に僕が強調したいのは、古橋悌二を失って普通なら空中分解してもおかしくないところ、ダムタイプがまさしくコレクティヴとして活動を続け、次々に作品を作り続けてきた。それは驚嘆に値するということです。古橋悌二が京都の病院で亡くなった時、ダムタイプは地球の裏側のブラジルで『S/N』の公演中だった。彼の死後につくられた『OR』は、病院のベッドで「生か死か(life OR death)」の臨界線上で揺れていた彼の最後の時間を、全員で追体験する共同的な『喪の作業』でもあったと言えるでしょう。そこで高谷さんは、新しくメンバーに加わった、池田亮司さんのテクノ崇高美学をひとつの軸として、パフォーマーのみならず観客をも危機的な臨界に置くような、圧倒的強度を持つパフォーマンスを作り上げた。昔からのダムタイプ・ファンからは「古橋悌二のいた頃はドラァグ・クイーンのショーみたいな味もあって、そこが魅力だったのに… 」というような声もあったし、その気持ちはわからなくもない。でも、彼が亡くなった後、前のようなことはできないし、やっても意味がないので、高谷さんや池田さんが過激なテクノ崇高美学の方に振り切った。それは凄いことだったと思います。しかも、この『喪の作業』が最後ではなく、『memorandum』、『Voyage』と続き、(この三作を圧縮したものを巨大なLEDヴィデオ・ウォールで見せ、対面にパフォーマーたちの動きの痕跡を残す、床の鏡面を置いた作品は素晴らしい)来年には『2020』という新作も予告されている。その過程で、ダムタイプからとりあえず離れるメンバーもいれば、新しく加わるメンバーもおり、ダムタイプも各々のメンバーも刻々と変貌しながら、多種多様な活動を続けてきた。古橋悌二という中心人物を失ったにも関わらず、或るいはそれ故にこそ、ダムタイプが真のコレクティヴになった、或いは元々そうだったことを証明したわけで、彼が生きていたら個々の作品を肯定したかどうかはともかく、きっと喜んだに違いないと思います。繰り返せば、水平的なコレクティヴといっても、どうしても特権的なアーティストが中心になることが多く、そういう中心的な存在を失うと空中分解することが多い。そんな中、こうしたダムタイプの歩みは本当に驚くべきもので、「おみそれしました」という感じです。それで最後にひとつだけ言っとくと…
【高谷】 いやいや、最後に、って(笑)
【浅田】 いや、もう総括しちゃったから。それで、坂本さんが20世紀の終わりに、20世紀の歴史と音楽史を総括する『LIFE』という大規模なオペラを作るにあたって「映像をやってくれる人はいないか。」と聞かれたんで、高谷さんを紹介した。僕はキュレーターでもなんでもないので偉そうなことは言いませんが、結果的にいいコンビネーションだったでしょう?
【坂本】 いや、プロデューサーだったんじゃないの?コンセプターというか。
【浅田】 コンセプト・デザイナーってことになってましたね。
【坂本】 三人で会議やりましたね。京都会議なんていう冗談を言って。
【浅田】 坂本さんの言ったことに二人でダメ出しをしたりすると、不穏な空気になったりして…。それは当然なんで。『LIFE』は坂本さんという特権的なアーティストの作品であり、みんなが協力すればいいんですが、ダムタイプがそういう形ではないコレクティヴとして続いてきたのは凄いと思うし、坂本さんと高谷さんもいいコンビになって、インスタレーションとかパフォーマンスとか、いろんなプロジェクトが続いている。これからも続いていくだろうというので、すごく楽しみにしています。
【坂本】 今、浅田さんが言われたように、高谷さんとはね、まさに浅田さんが僕のコンサートに連れてきてくれて、そこで挨拶したのが90年の前半でしたけど。いや、90年か。90年…そんなに長いんだ。
【高谷】 そうですね。
【坂本】 もうそろそろ30年…長いなあ!つい最近知り合ったような気がしてるんですけど、未だに。1999年にやった『LIFE』という、シアター・ピースですかね。
【浅田】 一応、オペラということになっていた。
【坂本】 オペラならざるオペラですけども。映像が非常に重要な役目をするというので、「誰に頼もうか… 」と浅田さんに相談したら「高谷さんがいいんじゃない⁈」って。で、やって頂いた。
それ以来、インスタレーションも、僕の方は「あの音でこういうアイディアがあるので、何かできないかな?」ってふうに相談を持ちかけると、空間の設計とか、ヴィジュアルのデザインなんかも考えてくれて、一緒にコラボレーションが始まって。
こないだ数えたのね、「何個やったっけ、あれ以来… 」って。結構あったよね。一緒にやったインスタレーションが7つぐらいあるんだっけな。今後もいくつか予定があるし、僕のソロのコンサートだけど、全体のステージの空間設計とか、デザインとか。それから映像のコンテンツなんかもつくってくれたりと、非常に濃密なコラボレーションをさせて貰ってます。
【浅田】 高谷さんが、「京都市立芸術大学に入ったら、不思議な人たちがいて、面白そうだから一緒にいろいろやるようになった。ダムタイプの創立メンバーというけれど、単にそれだけのことだ。その時に、自分にはアーティストという自覚がなく、アーティストが「ここはこうしたい、ああしたい」と言った時に、それをデザイナーとして助ける役だと思っていた。それが今になってみたら自分がアーティストと言われて困っている。」というようなことを言ってましたけど、その辺りはどうですか?
【高谷】 そうですね、僕は芸大のデザイン科に入ったんですけども、まあ、僕の説明ばっかりしてても仕方ないんですけど…。ダムタイプっていうのは芸大にいたアーティストが集まって、グループになって、皆で討議をしながら作品を作るっていうグループなんですけども、そんな中で、僕自身は「アーティストっていうのはもっとやむにやまれぬ衝動に駆られて、どんどん物を作っていく人であって、なろうと思ってなれるようなものじゃない」と思ってたし、大学で勉強できるなんて思ってなかったし、なりたいとかなりたくないとかもないまま芸大に入って。で、ダムタイプに入った理由っていうのは、本当に劇場っていうのがなんか巨大な実験場みたいに僕には見えたんですね。いろんなセットや道具を作ったり、パフォーマーの動きを作って、どういう風に照明を当てるか、どういうふうな音楽を合わせるかとかって試してみる実験場だと思ったんです。
そう考えると、その当時テクストをベースにしていた演劇っていう世界とは全然違うものが僕には見えたっていうか…。なんかそういうものには興味があるなと思ったんです。
その当時、古橋とか小山田徹とか穂積幸弘とか井久保眞理、薮内美佐子、そういう色んな先輩たち、油画とかデザイン科なんかの先輩たちが関わってて、もの凄くかっこいい人たちが集まってるように、僕には見えたんですね。すごくアーティスティックで色んなアイディアがあって。で、その時にそういう人たちから「こういう映画を今やってるから見に行け。」とかって言われながら、タルコフスキーを見に行ったりとか。それまで全然見ずに育ってきた僕が、何かやっと文化に触れたっていうか、その辺からどんどん変わってきたっていうので、ダムタイプの中では本当にその当時は一番新人ですね。だから一緒に立ち上げたんですけども、一番の新人として立ち上げに関わった。それからずっと、色々ツアーとかしながら、だんだんダムタイプっていう形が見えてきた時に古橋が死んで、その時に浅田さんがさっき言っておられたように、どうしようかなって思ったんですね、本当に。
古橋っていうのは、あんまり周りの人が褒めると、なんだか「いや、そんな人じゃなくて、もっとずっこけた人なんだよ」って言いたくなるし、でもあんまりけなされると「ものすごくかっこ良かった人だ」って言いたくなるような人なんですよね。
【浅田】 かっこ良かったですよ。
【高谷】 そうなんですよね。まあ、そういう人がいなくなって、自分たちはもうやめるっていう選択肢もあったんですけども。当時から、複数の分野の一人ひとりのアーティストたちが集まって活動しているというのがダムタイプの持ち味だと言われていたので、「じゃあ、古橋が死んでもできる筈じゃないか」と。
その当時、池田くんも『S/N』の後半から色々手伝ってもらってたので、また全く違う形で何か、『S/N』とか『pH』の社会性とは違う、次の社会性みたいなものを――。社会性だけじゃないですけど、自分たちの作品のスタイルっていうのを自分たちで作り出すことが、今まで言ってきたことを説明できるんじゃないかと思って続けてきた。続けてきて今に至ってるっていう感じ…。
【浅田】 逆に言うと、そこで終わってたら、「ああ、コレクティヴとか言っても、やっぱり特権的なひとりの才能に依存していたんだ」と言われてしまう。古橋悌二がいなくなっても、それに依存せずに自分たちだけで続けられるか、という賭けですよね。
【坂本】 僕たちからみると、ダムタイプの空間やパフォーマンスっていうのは全く新しいものに見えるんです、今でも。それまでの演劇という文脈で言うならば、ほんと突然変異のようなものですよ。ところが、この間も話していたんですけど、古橋くんたちがこんなものを作ろうと思い至ったその前段階のモデルが、たとえば寺山修司だったりしたという話を今年初めて聞いて、「ええー!もう寺山修司の世界とは大違いじゃないか!」って。でも、そこにそういうものがあって、自分たちが新しいものつくろうという、まあ、一種のアンチテーゼでもないですが、ひとつの発展というか、直接の継承ではないけど、なんらかの関係があるって話を聞いて、とっても面白いと思ったんですね。
【浅田】 ただ、1960年代の小劇場運動なんかの文脈でも、寺山修司が際立ってマルチメディア的だったことは確かでしょう。1980年代にそれをエレクトロニクスを使ってクールにやるというか…。近いところではボブ・ウィルソンやローリー・アンダーソンなんかもいたし…。
【坂本】 ボブ・ウィルソンは、もう70年代からそういうことやってたものね。そうみれば、なるほどという感じもあります。古橋くんはボブ・ウィルソンは見ていたのかな。
【高谷】 見てましたね。ボブ・ウィルソンもですし、ローリー・アンダーソンの影響が大きいようです。もちろんYMOとか。
【坂本】 ないです、ないです。
【高谷】 いや、ありますよ!
【坂本】 おこがましい。
【高谷】 何ていうかな、そういうものを自分たちでいい形でミックスしていく方法をなにか見つけ出せるんじゃないかと思っていたっていうか、見つけ出せたかどうかは別として、何かそういうことにトライしてたっていう感じですね。
寺山さんの映画とかには、僕自身はそんなに直接の影響を受けてないんですけども、先輩たちは『レミング』とか、映画も見に行ってましたし、パフォーマンスも見に行ってたはずです。
【坂本】 面白いな、そのつながらない、つながりが。
【浅田】 坂本さんが、日本の演劇の流れとは異質だと思われるひとつの要因は、むしろローリー・アンダーソンなんかの方に近く見える脱領域性、そして特に国際性でしょう。京都市立芸術大学に映像教室(構想設計・映像設計)というのがあって、古橋悌二もそこで学んだんだけど、『LIFE』誌の写真家としてニューヨークで活躍していたアーネスト・サトウという人が、京都の俵屋旅館のお嬢さんと結婚して、その映像教室で教えていた。彼は国際派のダンディだったでしょう。で、水平線・垂直線をきっちりキメたモダニズムの写真を撮っていたのが、その下から森村泰昌や石原友明のようなヘンな連中が出てきた――。モダニストが鬼子としてポストモダニストらを生んだと言うか。その下に古橋悌二がいたわけでしょう。だから、日本のアングラ小劇場運動の一部にある土着性みたいなのは全然なかった。すごく風通しが良くて、アメリカとでもどことでも直結している感じ…。
【坂本】 国際感覚って、古橋くんたちはどうやって身についたんでしょうね。やはりクィアとしてあちこちクラブを歩いたからでしょうね。
【浅田】 そりゃそうだよ、NYでも踊りまくってたよ。LGBTQインターナショナル。
【坂本】 古橋さん、NYの家にも来た事があって、亡くなるちょっと前でしたけど、ぽつりっとね、「こっちだとbotherされないのよね」と言って、ああそうだねえと思って聞いてたことあるんです。『S/N』っていうね、シグナル/ノイズですか、自分たちはノイズであるとまでは言わないけどそれを暗示するような存在の仕方っていうかな、それを、身を以て生きたというか死んだというか、そういう人だなぁというその片鱗が少し伺えたんで、凄く短かったんですけどいい時間を共有できたなと思います。
【浅田】 国家の枠内にあるマジョリティに対し、マイノリティは国際的になるほかないから…。ちなみにダムタイプって名前はやっぱり古橋さんがつけたんですか?
【高谷】 みんなで考えたんですけど、多分古橋から出てきたんだと思います。さっきもちょっと控え室で話してたんですけど、ダムタイプっていうのは、普通まあ一般常識がある賢いと言われてる人っていうのはそういう常識にとらわれて視力を失っている、だからあのビートルズの『The Fool On The Hill』の歌詞にあるように、太陽が沈むのを見て太陽が沈むと思うのはそういう常識にとらわれていて、自分が後ろ向きにうわーって動いていってるんだって感じるっていうのは常識にとらわれない馬鹿者っていうか、なんかそんな感じなんですよね。ダムタイプっていうタイトルを、僕はその当時学生の時はそんなにわかってなくて、音とか形からくるイメージだけで、僕はロゴをデザインしたりとかしてたんですけども、形的にはかっこいいな、とか。
【浅田】 「ダム(dumb)」ってのはもともと「唖の」「無口な」って意味で、そこから「バカ」ってことになる。常識もなく空気も読まずにじっと黙ってる変なやつですね。転じて「ダミー(dumb+y → dummy)」ってのもあって、クラフトワークの曲名じゃないけど「ショールーム・ダミーズ」の「ダミー」、あるいは「でくのぼう」の「木偶(でく)」ですね。自分たちのグループにそんな名前をつけるというのは、すごく思い切った命名だと思うんですよ。ローリー・アンダーソンなんかはものすごく流暢で、流暢であることによって記号の体系を裏返すみたいな感じだけど、むしろ黙っててバカみたいに見える、でもじっと観察してる、そういう存在を自負するわけだから。高谷さんがそういう意味をほとんど意識せず、字面のかっこよさしか考えなかったってこと自体、まさにダムかもしれないけれど…(笑)
【高谷】 その頃の話では、あのSurvival Research Laboratories のマーク・ポーリンが東京に来てて、コンピューター・プログラムでロボットを制御しようとするんだけども、ものすごく暴力的なロボットでそのプログラム通りに動かなくて暴れだす、そういうときに「ダム!」って言うんだっていうのをすごく覚えてます。中谷芙二子さんの企画された『ビデオ・テレビジョン・フェスティバル』でマーク・ポーリンに会った時にそういう話がでて面白いなって思って。
【坂本】 そう言われてみれば、あのパイクさんのテレビロボットもダムだよね。間抜けな、あるいはNYのストリートを動いてるヴィデオも残ってますけど、本当に木偶の坊、ダムな感じだよね。
【浅田】 阿部修也とつくった『ロボットK456』は世界で唯一の排泄するロボットだってのがパイクの自慢だった。逆に役に立たないことをする。あれはダムですよ。
ついでに言うと、雪の科学者として名高い中谷宇吉郎の娘であり霧の芸術家である中谷芙二子さんはヴィデオ・アートの先駆者でもあり、ビデオギャラリーSCANで内外のヴィデオ・アーティストたちをサポートしていた。いまや大家と言われるビル・ヴィオラなんかもお返しで中谷さんのために風速計を持って走り回ったりしていた。同様に古橋さんや高谷さんも中谷さんのお世話になって、逆に高谷さんは孝行息子のように中谷さんの霧の作品をずっとサポートしてきた。その中谷さんの企画した『JAPAN’87ビデオ・テレビジョンフェスティバル』で話をしたときに、僕は初めてダムタイプの皆さんと会ったわけですよ。京都ではただの観客だったから。
【高谷】 多分、最初に浅田さんに会ったのはNHKの『メディア・アート・ミュージアム(MAM)』っていうやつですね、あの原宿クエストホールでやった …
【浅田】 ああ、そうか。ダムタイプが会場構成をやっていた…。だから1989年だな。
【高谷】 あのイヴェントで中谷さんも出演されてて横尾さんとか浅田さんもいて。そこで浅田さんに声をかけてもらって、「ちょっと頼みたいことがある」って言われてフローニンゲンのプロジェクトに…
【浅田】 そうそう、オランダのフローニンゲン市の境界を画する一連のモニュメントをつくるっていうダニエル・リベスキンドのプロジェクト。
【高谷】 そのプロジェクトをデザイン的なところでちょっと手伝ってもらえないかっていう話だったんですけど、なんかその辺りからですね、僕とダムタイプの浅田さんとの付き合いは。
【浅田】 だから、さっきから偉そうに言ってるけど、古橋さんから見れば、ぼくはペラペラペラペラしゃべるTV解説者みたいなやつに見えてたかもしれないよ。
【坂本】 ダムじゃない。
【浅田】 ダムじゃないから。
【坂本】 極端にダムじゃない。ダムじゃないタイプ。
【浅田】 ダムじゃないのはダメなんだよ。
【坂本】 おしゃべり…流暢すぎる。どっちかというとローリー・タイプですよね。
【浅田】 マルチメディア・パフォーマンス・グループなんていうと、頭が良さそうじゃないですか。実際、頭はいいんだけど、あえてダムタイプを自称してる。
【坂本】 ダムタイプっていうグループ名じゃなければかなり頭良さそうな感じですよ、かっこいい。ハイテクでね。それがダムタイプって名乗っているところがおもしろいですよね。
しかも、さっきも最初の方で言ったとおり、いわゆるそれまでの演劇の文脈にあるような言葉によるシアター・ピースではないですよね。形というか映像とかも含めて時間の中で変容する形をつくっていくという集団なのかなと思ったら、時間を外してこのように1枚の絵とかメモなんかでみると、もうりっぱなアート・ピースになっている。そういう見せ方を、今回長谷川さんがみんなと一緒にやってくれたというのは、本当に素晴らしいと思うんですよね。
【浅田】 さっきボブ・ウィルソンの名を出したけど、ダンスでも、マース・カニンガムがいて、いわゆるジャドソン・チャーチの人たち、トリシャ・ブラウンとかメレディス・モンクとかいろんな人たちがいて、そうなるともうダンスというよりパフォーマンスじゃないですか。さらにジョーン・ジョナスのようにヴィデオを加えるとか。ジョナスは京都賞を取ったので、こないだ京都でパフォーマンスと展覧会をやってて、半世紀前からほとんど進歩がなかった――その意味では立派にダムと言えるかもしれないけど。
なんにせよ、演劇が嫌いだったぼくは、そういうポストモダン・パフォーマンスに興味をもったわけですよ。いや、演劇といっても、たとえばピーター・ブルックの演出するシェイクスピアやベケットでも、あるいはさっきのボブ・ウィルソンでも、パフォーマンスとして面白い。正確に言えば、高校演劇が嫌いだったんだな。高校のころ演劇と生徒会ってのが大嫌いで、だから今でも平田オリザとか岡田利規とかああいうのは耐えられない。他方、音楽、とくにロックとかテクノって大体ガラの悪い不良系じゃないですか、生徒会なんかとは無縁な。
【坂本】 テクノってガラ悪いんですか?そうなんだ、知らなかった。
【浅田】 いやいや…(笑)
【坂本】 僕もそれ以前の音楽、ロックは汗かき過ぎだなと思って嫌だと思った方なんですよ。ダムタイプはあんまり汗を感じないですよね。それまで演劇っていえば汗ですよね、大体大きな声だして怒鳴って。
【浅田】 情念を爆発させる。
【坂本】 あれがもう嫌いで嫌いでしょうがない。
【浅田】 まったく同感。だいたい現実の社会で、大声で泣いたり叫んだりしてる人なんて見たことないでしょう? 他方、音楽とのつながりでダンスは好きだったんだけど、これまた学校教育に組み入れられたらしいダンスとか、よさこいソーランなんとかとか、みんなで汗をかいて盛り上がって、もうおぞましいとしか言いようがない。こういうことを言ってると嫌われるかもしれないけれど…
【坂本】 ま、役所の仕事はこないよね。
【浅田】 むしろ僕は、ジャドソン・チャーチ派のダンスとか、メレディス・モンクとか、あるいはローリー・アンダーソンとか、そういうのが面白いと思ったんですよ。
【高谷】 メレディスとかすごく影響を受けましたね。ああいう風に声を使ったりっていうことは、何か基礎があるわけじゃないので我々にはそういうことができるわけじゃないんですけども。ローリーもそうですけど、コンサートとシアター・ピースとの中間とでもいうか、もちろんパフォーマンスなんですけども、ああいうものがほんとに出て来た頃ですよね、僕たちが学生だった頃。メレディスも日本に来たし、ローリーも来たし、ボブ・ウィルソンも来た、そういう時代だったので、そういうものからいろいろ影響を受けながら自分たちのものを作り出そうと、まあ、コピーしたり真似したりしながら何か作ってきたっていう感じですね。
【坂本】 まだバブルは始まっていませんでしたけど、80年代前半の東京というか日本というか、特に84年にパイク展があってパイクとボイスがパフォーマンスをやったり、ローリー・アンダーソンも来たり、おまけにヤニス・クセナキスまで来たりと、すごいことになって、僕はあの84年って本当に忘れがたくて、パフォーマンス元年と勝手に言ってるんだけど。ローリーのことはそれまではTVやヴィデオとかで見ていましたけども、実際に生で見て衝撃を受けました。
【浅田】 素晴らしかったですね。今や伝説らしいけど、ボイスとパイクだって、ボイスはコヨーテになって叫んでるし、バイクは…。
【坂本】 なんかマイクをピアノにぶつけて壊してる。
【浅田】 そうそう。ピテカントロプス・エレクトゥスってクラブで坂本さんたちも一緒にやったでしょう?
【坂本】 やりました。
【浅田】 あのときパイクはピアノの前に来るんだけど、相撲の力士みたいに見合って見合って、それだけで、いつまでたっても弾かない。
【坂本】 ピアノと相撲するんです。
【浅田】 面白かったな。
【坂本】 よかったですね。あれ、細野さんまで登場したり、立花ハジメとかね、今は亡き三上晴子も出てるんですよ。凄い集まりでしたね。
【浅田】 そういう意味で、演劇ではない、アングラ小劇場運動ですらない、むしろ音楽やダンスや映像にまたがるマルチメディア・パフォーマンスというのが出来上がりつつあった。ダムタイプはその波に同時代的にうまく乗った感じはしますね。
【坂本】 まあ、やっぱり遠く遡るとパイクさんあたりが始めたというか、あるいはオノ・ヨーコさんも含めたフルクサスの影響というか、そういうところが源流なのかなという感じがしますね、いま考えるとね。
【浅田】 そういう前衛の流れとクラブ・カルチャーが結びつく。とくに古橋悌二の場合はドラァグ・カルチャー。さっき言ったように、坂本さんとも行きましたよね…
【坂本】 行きましたね、大阪のパーティーにね。
【浅田】 坂本さん、ものすごく感動してましたよ。
【坂本】 マドリッドだ、大阪はマドリッドだとか言って。
【高谷】 古橋のまわりというか関西のドラァグ・クイーンが集まって…
【浅田】 シモーヌ深雪さんとかね。
【高谷】 自分達だけでその店を借り切ってもう全員がドラァグ・クイーン。その中に浅田さんと坂本さんと僕と何人かが…。
【浅田】 いや、女性もいたじゃん。
【高谷】 そう、でも全員ドラァグ・クイーンで、普通の服を着てる人は我々数人だけで。
【坂本】 ほとんど3、4人で、あと全員ドラァグ・クイーンで、
【高谷】 横に座ってた人が急に「あ、じゃあ次、私やる」ってフロアに出て行ってショーをして、また席に戻ってきたらみんなで呑んで、「じゃあ私、次やる」って感じで。
【坂本】 そんな楽しいことやってたんですよね、ほんとに。
【浅田】 そういうのとダムタイプの活動っていうのはなんとなく重なってたのか、ある程度切り分けられてたのか、どういう感じでした?
【高谷】 あー、重なってたんじゃないですかね。スパイラル・ホールで『S/N』をやったときに、1階にギャラリーとカフェ、それに丸い天井の吹き抜けの空間があるじゃないですか、あそこでオープニング・パーティーをやろうってことになって、『XXX BALL』っていうタイトルで、古橋が知り合いのドラァグ・クイーンを呼んできたりとかして、パーティーをしたんですよ。
そのときに彼は結構もう病状が進んでいてしんどそうだったんですね。
パフォーマンスの本番の後、楽屋に帰ってきたら、もうすごくしんどそうにしてるから、「今日はやめといた方がいいんちがう?」って言ってたんですけど、まあとにかく、パーティーが始まったらむちゃくちゃ元気にやってるんですよ。もうばんばん踊ったり、ショーしたりしてるから「なんや元気やん」って言ったら、「いや何言ってんの、このために僕はやってきた」みたいなことを言って。
アートとかそういうことをやってるのは、こういう機会をゲットするために自分はやってきたって、言わんばかりの勢いだったんですよ。その時に面白いなと思って……何ていうか、どっちが重要かっていうのはもうその人によって全然違うんだと思って。
その当時、スパイラルでパフォーマンスをするっていうのは結構まあ大変なことだったんで、もちろんそれが実現できたのは、古橋とか小山田とか穂積とか、いろんな人が動いてそうなってるんですけども、その結果パフォーマンスにあわせてショーやパーティーもしようっていうのが同等に並行して、どっちが優先されているかってわからない状態でしたね。
【坂本】 その大阪の一夜の、古橋くんと僕が並んでいるポラロイドは、今でもうちのNYのスタジオに貼ってありますけど、もうこんな大きなウィッグでね、5センチ以上あるようなつけまつげで、赤い口紅でドレス着て僕の横にこうやって古橋くんが座ってるんだけど、こっちがたぶん自然なっていうか生身の古橋くんに見えるわけ。普通、男性がお化粧するとか女装するとかっていったらなにか化けるでしょう、お化粧の「化」で。何か違うもの、自分じゃないものになるというコンセプトがついてまわる。
僕、清志郎にはそう感じる。あれは仮面だと思うんですが、もしかしたら間違ってるかも…。
でも、古橋くんの場合にはあれで自分になるというか、そういうように見えました。
【浅田】 ドラァグ・クイーンというのはとても面白くて、例えば『S/N』の中で古橋さんはシャーリー・バッシーの『ピープル』とかナナ・ムスクーリの『アマポーラ』とかすごく有名な曲をリップシンク(口パク)で歌真似している…。
【坂本】 ああ、パーティーでもやりますね。
【浅田】 AIDS研究財団の資金集めパーティーで、エリザベス・テイラーが「みなさん、コンドームをお使いなさい」とか言うのを真似てみせる。でも、ただのパロディじゃない。たとえばシャーリー・バッシーの『ピープル』の歌真似は、爆笑もののパロディであると同時に、実は自分自身の心の叫びでもあるっていうか、他者の声を借りることによってはじめて自分の心の叫びを表出できる、他者になることによってはじめて自分であることができるって構造になってるわけですよ。仮面をかぶることで初めて素顔になれる、リップシンクによって初めて自分の本当の声が出せる、と。坂本さんの言われたのはそういうことでしょう。
【坂本】 生態的に男性という風に定義されてるから男性の格好して、社会の中で男性的な役割をいつも演じてる訳でしょ、彼らは。むしろ女装した時に素になれるということなんじゃないかなと僕は想像しましたね。
【浅田】 「他人(ひと)」のパロディをすることが自分であることだ、と。それは異性装に限らない…
【坂本】 それは例えば動物だったりね、木とか鉱物とかでもいいのかもしれないですよね、水になるとかね。
【浅田】 とくにアーティストというのは『他のものになることが自分であることだ』っていう逆説を生きる存在だと言えるかもしれない。ともあれ、古橋さんは、公式にはアーティスト、非公式にはドラァグ・クイーンということになってるけれど、実際は両者が渾然一体だったんじゃないか。
そういえば、坂本さんがマドリッドとおっしゃってたけど、ダムタイプの公演のあとの夜のショーをペドロ・アルモドバルが見に来て、面白がってたんでしょう?
【高谷】 ありましたね、マドリッドのクラブで。OKガールズとかがショーをして。そうだ、OKガールズが1月13日にここでショーをするんです。『S/N』 の上映と、OKガールズのショーと、トークもあるのかな。(1月13日のイベント情報)
【浅田】 それはぜひ。で、アルモドバルはそれを見て面白いと思ったんでまともなパフォーマンスも観に来たら『ああ、結構真面目なこともやってるんだね』と。
【坂本】 つまんないとか言ったりして。夜の方が面白いって。まあ夜の方が面白いかもしれないですけど――なんて言っちゃいけないか。(笑)
【浅田】 その意味でアーティストとドラァグ・クイーンってのがある。そして、もうひとつ、アクティヴィストってのがあるでしょう? 今から振り返るとあの時代はAIDS危機のなかでHIV/AIDSアクティヴィズムが生まれ、今で言うLGBTQ+の解放運動が盛り上がった。ラリー・クレイマーが「Gay Men’s Health Crisis」と並んで「ACT UP」(AIDS Coalition to Unleash Power)を組織し、「SILENCE=DEATH」、つまり「黙っていたら殺される、生きるためにカム・アウトして生存の権利を主張しよう」と叫んだ。それは、もちろんマイノリティの存在と市民権の承認を求める正義の戦いだったわけだけれど、確固たる同一性をもった主体が市民権を主張するって感じじゃない、むしろそういうものから最も遠いドラァグ・クイーンのような人たち、さっきの話でいえば生徒会なんかから最も遠い不良たちが、あえてアクティヴィズムに身を投じた。
だから、そのアクティヴィズムはアート(とくにシミュレーショニズムの)と密接な関係にあり、デモが同時にドラァグ・パーティでもあった、そこが決定的に面白いところなんです。アーティストにしてドラァグ・クイーンでもあった古橋悌二のアクティヴィズムというのはそういうものだったってことを強調しておきたいですね。
最近、「ソーシャリー・エンゲージド・アート」とか称して、「アートの力でよりよい社会を」とか凡庸な生徒会役員みたいに偽善的なことを言ってるやつがいるでしょう? アーティストのくせに恥ずかしくないのか。本来、アーティストというのは社会のマジョリティから差別され排除される存在であり、アートに社会を変える力なんてあるわけがない。しかし、社会的に無意味で無力なものが結果的に最高の価値と最大の力をもつことがある。決定的なポイントは、そこにあるのが逆説的関係だってことで、それがなければ「良識的市民運動」の枠は超えられないでしょう。
一昔前の「ソーシャリー・エンゲージド・アート」は、ブルジョワの子弟の自己満足に過ぎない前衛ごっこをやめ、プロレタリアのための社会主義リアリズムを、というもので、反動的だけれど、ある意味でラディカルではあった。いまは「プロレタリア」のかわりに「マイノリティ」と言っとけば聞こえがいい。それで、凡庸な生徒会役員みたいな連中が「マイノリティの声に耳を傾け、マイノリティの権利を擁護しよう」とか言う。冗談じゃない、お前らごときに守られてたまるか、と。ドラァグ・クイーンがあえてアクティヴィズムをやった、しかも『S/N』ではそれがそのままアートになっていた。その逆説がわからなければアートについて語る資格はない。
もちろん、政治的・社会的にはアクティヴィズムが必要だし、坂本さんのようにアーティストではなく市民としてそういう活動に参加するというのは完全に正しい。敵がトランプとか安倍とかいうバカなやつらだったら、凡庸な優等生にも大いに頑張って退屈な正義を追求してもらえばいい。そういう優等生たちの「政治的に適切(politically correct、略してP.C.)」 な雄弁をじーっと黙って意地悪く観察しているのがダムな存在としてのアーティストでしょう。そう言えば、古橋さんが言ってましたよ、アートでは「ああ、P.C.ね」と言われたらそれでお終い、と。
【坂本】 ニューヨークでの、僕の見聞きする黒人のクィアなんてのは、やはりNYですら普通に、白人の警官にいじめられる、殴られる、連行されるなんてことが横行している、ましてや中西部に行ったら本当に身の危険がある。就職するのも大変。未だにそうなんですね。彼らのはもう必死の叫びです。全然頭のいいエリートの坊ちゃんたちが倫理観にかられてやってるのではない。まあ、中にはそういう人も居ると思うけども。ほんとに何か、どうしたらいいんだろうっていうような状況はまだ続いてますよ。
【高谷】 セクシュアリティの話とかも、もうなんか終わったっていうか、今はもっとフラットにみんなが話し合える世の中になったっていう意見を言う人もいますけど、でも、本当はそんなことはない。それって意識の改革だと思うのでそんなに簡単には変わらないと思うんですよ。別に、だからそういう作品を作らねばならぬ、とかっていう意味じゃなくて、まだまだ考えていかないといけないことはいっぱいあると思うんですね。そのときに浅田さんが言われたみたいにほんとに役に立たないアートっていうのをやってるアーティストっていうのは、アーティスト自身としては凄く自問自答するわけですよ。これは役に立つのだろうか、って言ったら変ですね――なんて言ったらいいんでしょう、アーティストが役に立つ作品をつくるんじゃなくて、その作品が……。坂本さんが昔、言ってたのかな、アーティストは炭鉱のカナリアみたいなもので、一番弱い立場だから一番最初に反応するんじゃないかっていうような部分で、何か反応していけるようなことはしていきたいなと思ってます。
【坂本】 あのさ、毎年のようにひどい災害が続いてるじゃないですか。僕はあの東北ユースオーケストラっていうのを今だに性懲りもなくやってるんですけど、必ず聞かれるのは、「音楽の力とはなんですか」とか「音楽に何ができますか」とか、その答えを完全に期待してるようなことを聞くわけね。「ふざけんな」と思ってるわけ、いつも。「ふざけんな」とは言いませんけど。「いやほんとに力はないと思いますよ」とか、はぐらかして答えて、実際、本当にそう思うし、ましてや、音楽なりアートなりをやってる者が、聴く人や観る人を慰めようとか癒そうとか、そんなのはもうほんととんでもないと思ってるわけね。だから、あの質問は本当に困る。やめてください、メディアの人。
【浅田】 というようなことを言う坂本さんこそ一番真っ当なアクティヴィストなんだと思いますよ――マイノリティの当事者はもちろんのこととして。音楽は文字通り音を楽しむものであり、自己目的的なものであって、何の役に立つわけでもない。だから悲惨な状況ではまずは衣食住の必要を満たすことを優先すべきだけど、悲惨な状況にあってなお、役に立たずとも音を楽しみたいっていうのが、アーティストという「不要不急」の存在である。そういう無力かつ無用な存在、まさしく ダムな存在が、しかし、逆説的にも、そのために生きていてよかったと思えるような貴重な何ものかを生み出すことがある。役に立たずとも楽しむこと、それこそが生きることだから。その意味で、ドラァグ・クイーンとして歌い踊ることがアートであるとともにアクティヴィズムでもあった古橋悌二らの時代の記憶は、いまますます貴重になってるんじゃないか。
【高谷】 古橋はデモにももちろん行ってましたし、それがアートの活動だとは全然思ってないですし、デモに参加するのは市民の権利でもあるし、全然デモに参加したらいいと思いますし、そういう両方やることが重要っていうかな。「アーティストだから、ちょっと忙しいからデモに行けない」とかっていうのが一番「なんなんだろう」っていう感じがしますよね。
【坂本】 アーティストだから社会には関係ないとか、自分の世界を構築するんだとか、未だにもしそういう人いたら本当はお目にかかりたいんだけど、逆に言うと、アートは社会に役に立つべきだという論理で例えば税金を使うなとかね、国家や社会で反社会的なことを言うアートに税金を使うなって議論が巻き起こったでしょ。とんでもない話ですね。
【浅田】 体制的であれ反体制的であれアートは社会的に意味があるから公的に補助すべきだってことを強調しすぎると、「じゃあ、どう役立ったのか申告してもらえば公的機関で評価して助成金を出す」とか、国家の気に入らない作品が含まれてて物議を醸したりすると「騒ぎになる可能性を申告せず隠蔽した」とかいう名目的な理由で「助成金を支払わない」ということになったりする――実際は検閲ですよ。音楽でいえば、ザ・スミスの『The Queen Is Dead』って曲は普通にリリースされてヒットし、ロック史の古典として残っている――ぼくはモリッシーの音楽を評価しないけれど。あれはデレク・ジャーマンがヴィデオ・クリップを撮ってて、紙幣に印刷されたエリザベス2世の顔も出てくる。まさにあの女王が死んだっていうタイトルですよ。同様に『天皇は死んだ』って曲が日本でベストセラーになったら、それこそ日本が文明国になった証でしょう。ところが、『あいちトリエンナーレ2019』では「昭和天皇の写真を燃やす映像(正確には、昭和天皇の写真のコラージュを含む自作の図版を掲載した富山県立近代美術館の図録が焼却処分された事件を踏まえて大浦信行のつくった映像作品)は多くの国民の感情を傷つけるもので公立美術館に公費で展示するのは許されない」という、「国民」を代表するつもりなのだろう連中の声が高まり、それを含む『表現の不自由展・その後」が公開中止に追い込まれるというありさま(会期末に展示再開)。「良識的市民」が眉をひそめるクズのようなものもアートには含まれる。そういうアートを全体として容認し助成するのが文明国ということになってるんですけどね。
【坂本】 まあ、イギリスも本当に紆余曲折あってここまで来て、たかだか100年ちょっと前に、ゲイっていうだけでオスカー・ワイルドは何年も刑務所にいれられて、それが元で亡くなってしまったわけで、100年ちょっと前にそうだったわけで、そこからずいぶん変わったわけですね。
『あいちトリエンナーレ』のときに出てきたのは、アンドレ・マルローが文化相のときに議会でやったスピーチですね。例えば、ボードレールが今生きてたらドラッグ中毒の反社会的存在ですよ。それが今はフランス文化の至宝ですからね。同じようにアマデウス・モーツァルトなんて本当に不世出の天才だと思いますけども、絶対友だちになりたくないような人間で、女ったらしで金には甘くて人はだますしギャンブル大好きでパーティー好きでガンガン酒飲んで、友だちになったら奥さんが寝取られるんじゃないかというような人ですよ。それでも彼がつくった音楽はそれとは関係なく素晴らしい。彼はかなり反社会的な人間だったろうって僕は思うんですね、今の日本だったら彼は生きていけないだろうなぁ、と。
【浅田】 ピーター・シェーファーが『アマデウス』という戯曲で描いたモーツアルト像はあざとく強調されているものの、あたってないこともない。
【坂本】 ある程度あたってる。
【浅田】 主人公である宮廷楽長のサリエリは、良識ある音楽家で、ちゃんと義務を果たす…。
【坂本】 けれども才能がない。
【浅田】 なんでこんな動物みたいに欲望全開のモーツアルトにあんな素晴らしい音楽の才能を与えたのか、しかも、私に自分がどれだけ努力しても絶対あんな素晴らしい音楽は書けないことがわかる耳を与えたのかっていう、この構図はなかなかいいですよね。
【坂本】 いいですよね、神を呪うわけです。
【浅田】 神を呪ってモーツアルトの毒殺に至るという、これはまあモーツアルト毒殺説に悪乗りしたわけですけど。それから、石田英敬がブログに翻訳を載せたマルローの演説も確かに面白い。フランスはアルジェリア独立でもめたあげく、独立容認派のド・ゴールが事態を収拾し第五共和制を樹立、マルローはその文化相になる。で、ジュネの『屏風』というアルジェリアを舞台とした戯曲が国立劇場オデオン座で上演されたとき、もともと独立に反対して戦ってたような右翼が劇場を取り囲んでデモをして…。
【坂本】 反対運動が起こるわけですよね。
【浅田】 「なんで国費を使ってこんな反フランス的な演劇をやらせるのか」と国会でも追及される。マルローは一応「国立劇場ではラシーヌやクローデルもやっていますよ」と言っておいて、「そもそもゴヤが反スペインではないように、ジュネは反フランスではない、反人類なのです」と。で、同様にクズと言われ検閲されたボードレールがいまやフランス文学の至宝とされているけれど、「ジュネが現代のボードレールだったとしても、だれもそれに気づかないでしょう、その証拠に、ボードレールの時代には彼が天才だとはだれにも分からなかったではないですか」と。国会でこう言ってのける文化相がいる国…
【坂本】 しかも右翼ですよね。
【浅田】 そう、それが文明国だよね。それで、古橋さんが亡くなる1995年に…
【高谷】 急に話が。
【浅田】 いやいや、戻らざる得ないじゃん、この話になると。
【高谷】 ですね。
【浅田】 だから僕も彼が病身をおして本気でアクティヴィズムに取り組んでいたことはわかってますよ。95年に横浜で国際AIDS会議があるから何かやろうということになり、前年NYに行ったとき、『オクトーバー』の批評家であると同時にAIDSアクティヴィストでもあったダグラス・クリンプ(2019年に亡くなった)に一緒に会いに行ったりもした。それだけ聞くと、頭がよくて良心的な人のように聞こえるかもしれないけど、そうじゃないんだ、その人が夜になったらドラァグ・クイーンになってエリザベス・テイラーの口パクで「皆さん、コンドームをお使いなさい」とか言っていた、その全体が彼のアクティヴィズムだったということを強調しておきたかったんです。
で、古橋さんが亡くなったあと、共同的な『喪の作業』を通じてコレクティヴとしてのダムタイプが新しい方向に動いていった、最初にそう言ったわけだけれど、当事者として振り返ると、それは自然発生的に動いていった感じですか?
【高谷】 そうですね。
【坂本】 皆で話しあったりした?
【高谷】 みんなで話して『OR』をつくったっていうのはそうですね
【坂本】 どう継承しようかって? 解散しようかって話もあったの?
【高谷】 あったのはあったと思います。どうしても続けないといけないものでもないし…。でもその時、フランスから新作制作のオファーがあったんですよ。古橋がまだ生きているときにオファーがあった。で、それを引き続き予定通りやるのかどうするのかっていうような判断はありましたね。まあ、そんな話があって、とりあえずは一か月ぐらい劇場を使わせてくれるっていうのでフランスへ行き、いわゆるオフシーズンで劇場は閉まっているんですけど鍵を持たせてくれて、自分たちで朝好きな時間に行って鍵を開けて作業を始めて、何か作って実験してチェックしてっていう一ヶ月ですね。なんか、初日は作り方もまだ全然まとまってなくて、だからやっぱり古橋がまとめてたっていうところはすごくあるので、自分たちでどうまとめていいのか、と。フラットな関係っていうものをどうするんだっていうこともまとまらないままだった。それで、結局、初演の初日は1時間40分ぐらいあって、で、全然まとまってない部分をばっさりカットして二日目はいきなり45分ぐらいになって、で、三日目ぐらいにちょっと落ち着いてきて…それから各地をツアーしていく間にだんだんまとまっていくっていう感じ…。そんな作り方をしてたっていうことで、本当に、やめようっていうか続ける意味があるのかみたいなこと、そもそもダムタイプって何だろうっていうことをすごく考えたような気がします。
【坂本】 そのダムタイプのリハーサルをどこかで見たことがあるんですけども、一応、リーダーがいないフラットな関係という建前があるので高谷さんが別にディレクターでもないわけじゃない。だから、どこまで仕切ったらいいかわかんない感じで、「えーっと、これやるといいんちゃう?」みたいな感じで。もう本番まであと10分くらいなのにまだこの状態、みたいな、見てる方がハラハラしちゃうような感じで幕が開いちゃう。
【高谷】 よくそんな人にオペラの映像を頼みましたよね。
【坂本】 ですよね。
【浅田】 いや、高谷さんは自分の名前でやってきた『明るい部屋』をはじめとする一連のパフォーマンスではディレクターとして全体を統括しているし、坂本さんの『LIFE』に協力するような場合はデザイナーとしてきちんと仕事をしている。だけど、ダムタイプが水平的なコレクティヴとしてやるときは、とにかく非効率なんですよ。もう延々と議論していて、「えーそうなん?」とか…。ぼくは悪い意味で諦めの早い即断即決型、まったくダムではない人間だから、「もっと早く喋れよ」とか思う。でもダムというのがコンセプトだからしょうがないわけ。
【坂本】 コンセプチュアルですよね。
【浅田】 今日来ておられる柄谷行人さんが、カール・ポランニーの経済人類学を踏まえて、A:互酬、B:再分配、C:商品交換という3形態を超える交換様式Dのアソシエーションを模索しておられるわけだけれど、考えてみればダムタイプは交換様式Dだ、と。関西人独特のシャレではあるんだろうけど…
【坂本】 ダムタイプはDタイプですものね。
【浅田】 アソシエーションというのはすごく効率が悪くて、合意形成にやたらと時間がかかる。それに耐える忍耐力をぼくは尊敬するんですよ。実は柄谷さんもぼくと似てだらだらした議論の嫌いな「いらち」だったはずです。でも、彼にとって重要な存在であり続けているマルクスは、1848年革命に至る時期には早く共産主義革命のヴィジョンを示そうとして急いでいたのが、革命の挫折のあと、腰を落ち着けて、経済学を徹底的に勉強することからやり直そうとする。その集大成と言われる『資本論』だって、盟友エンゲルスが遺稿を編集したものですからね。おそろしくシャープな批評家だった柄谷さんがDタイプのアソシエーションを模索する長い旅に向かうというのも、それと似た転回なのかもしれません。坂本さんも実はまだ僕と似たところがあって、仕事の質では妥協しないものの、早くテキパキやって後は休みたい、と。
【坂本】 そうです。なるべく仕事の時間を短くしたい方の努力。寝てたいって。
【浅田】 そもそも僕はミーティングが嫌いで、今日でもパッと来てその場で思いついたことを勝手に喋るだけ。いっさい打ち合せはしない。打ち合せなんかするやつは、バカでなければ、合意形成の努力をしたっていう保証を残したいだけです。
【坂本】 僕はあんまり出席することとかないですけど、もう紙っぺらに書いてあることをただ読んでるような会議とか打ち合わせとか、まったく意味がない。書いてあることをいっさい言うな、と。そう言うともう5分も持たないわけですよ。顔を見て「あーそうね」って言えば一言で終ることなんで、打ち合わせとかいうのは本当に嫌い。こういうトークとかでも下手すると脚本まで書いて準備してる場合もある。もう冗談じゃないって。見たことないです。構成とかされると「俺を仕切るな」っていうのが僕のポリシーですから、本当に。
【浅田】 その分、マネージャーやスタッフの皆さんが大変な努力をしておられるわけですよ。
【坂本】 ほんとにね、胃が痛くなると思いますよ、側にいて。
【浅田】 でも、それで言うとダムタイプっていうのはほんとにダムというか、とにかく延々「えーそうなん?」とか言ってるだけで、よくこんな無意味な会話を何時間も続けてられるな、と。しかしそれがギリギリまで行ったところで、締め切り直前に、あるいは締め切りの後で(笑)、素晴らしい作品にパッと相転移する。それがダムタイプというコレクティヴの力だと思いますね。
【坂本】 うん。まあ、ものすごい仕切るからね、浅田さんはね。あの『LIFE』の時の京都会議もね、それでもずいぶん長く、3時間ぐらい?
【浅田】 それはだって坂本さんの基本構想が面白かったし、みんなもそれに触発されていろんなアイディアを出せたからですよ。あれは打ち合せというより構想を練る会。
【坂本】 あれはブレイン・ストーミングみたいなもので、僕がもっていったものに対してどんどん突っ込みをいれて、あるいはアイディアを出してくださって、それをもとにできた。ほんと3時間であれができてしまったというような会議でしたけどね。ほんとに実のある会議。あんな実のある会議はほんとになかなかないですよ。一生に一度、二度、あるかどうかっていう感じ。
【浅田】 面白かったですね。だけど、ほとんど無意味な会話に3000時間ぐらい費やしたあげく、ふと何かができるっていうのは、僕には絶対に真似のできないことで、尊敬するほかない。
【坂本】 Dタイプですからね。素晴らしい。
【浅田】 それでいうと、池田亮司さんも作風からしてバシバシ切断していくタイプだけれど、『S/N』のCDをつくるときのプロデューサーだった池田さんが『OR』以降ダムタイプの音楽を担当するようになった、あれは高谷さんがリードして「こういうので行こう」みたいな感じになったんですか?
【高谷】 『OR』ですか? いや、えっと、そうですね、池田くんとはその『S/N』の CD制作の時に出会って、で、彼が『S/N』の音響チームとしてツアーにも参加して、その中でダムタイプの手法っていうか、こういうふうにパフォーマーの動きを想定した音の作り方なのか、っていうのが凄く面白かったようなんですよ。その関係性の中から、古橋亡き後、みんなで作品をつくるときに、音っていうのがダムタイプのパフォーマンスの骨格になってくる。つまり音が時間のフレームをつくるわけですからね。特に彼の音の場合ものすごく分かりやすいって言ったら変ですけども、クリックで構成していくっていう意味では…
【坂本】 文句言ったことある、俺ね。いつも4/4だ、変拍子がないって。すみません(笑)。
【高谷】 そうなんですよ。なんかそういう骨格をつくって、そこにわかりにくいパフォーマンスが挿入されていく。だから視覚的なものと聴覚的なもので全体が構成されていくときに、全体のフレームとしてそういう音を作ってもらったという、まあ、そういう打ち合わせをしたわけじゃないですけど、彼はそういうふうに考えてたんだと思います。でも、そう考えると、ダムタイプで彼が作った音楽っていうのは、ほんとにすごく分かりやすいってこともあるし、音楽としてどうなのかっていう問題は別としてパフォーマンスとしてすごくよく構成されているというか、この間にこういう要素が入って、っていうのをエクセルで表として作ってくるんですね、彼は。で、そこにまた音がはまってきて、みたいな。まあでも坂本さんが簡単すぎるっていうのはそういう意味ではエクセルで作るようなくらいの感じなんですよね。
【坂本】 いつも格子が均等にあった上で、そこに音をはじめとするイヴェントをあてはめていくという、ま、言ってみれば当たり前の考え方なのかもしれないけど。
【浅田】 フィリップ・グラスとボブ・ウィルソンの『アインシュタイン・オン・ザ・ビーチ』は、ルシンダ・チャイルズの振り付けも含めて、あえて単調なグリッドを基本構造としているでしょう。いわばソル・ルウィットのグリッド作品をスコアとしてパフォーマンス化するっていうか。池田さんの音楽もその延長線上にある。
【坂本】 まあ、そうですね。
【浅田】 高谷さんとか他の人たちは、そういうグリッドがあるから、なんだか変な出来事がうまくフレームに入れられるという感じかな。
【高谷】 そうですね。もっと遡れば『プレジャー・ライフ』とか見た目もグリッドですし、グリッドの世界の中に、どういう風に複雑なものをはめ込んでいくかっていうところに面白みを感じているというか、そういう時代だったような気はしますね。
【浅田】 都市構造がグリッドだからこそまったく異質なものが並列され得るっていうレム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』にも通ずる発想ですね。ともかく池田さん自身は方法論からしてそういう割り切りの人で、「ダムタイプでもう一生分ミーティングしたような気がするから、しばらくダムタイプの活動からは遠ざかってみたい」とか言ってたけれど、長谷川さんがキュレーションされた東京都現代美術館での池田亮司さんの個展『+/-』のカタログで僕が対談させてもらった時に印象的だったのは、「アートの教育を受けていない自分にとってダムタイプこそがアート・スクールだった」と彼が言っていたこと。みんなで「ああでもない、こうでもない」と言いあって、実際にやってみるとうまくいく時もあればいかない時もある、海外ツアーも含めた長く複雑なプロセスのなかでそれを続けていく…。音楽教育なんか受けてなくてもコンピュータひとつあればラディカルな音楽がつくれるという新世代のミュージシャンである池田さんにとって、それは閉じた世界を世界に向かって開くかけがえのない教育だったのかもしれませんね――新入生時代の高谷さんにとってもそうだったように。別に誰が教えるわけでもないんだけれど、いまのダムタイプにも古舘健さんのような若いプログラマーや原摩利彦さんのような若いミュージシャンがいて、いろいろ学ぶと同時に、昔からのメンバーにも刺激を与えている。そういうコレクティヴとしての新陳代謝がまた面白いところでしょう。
【高谷】 そういう意味では、今言った次世代のメンバーが入ってきてるのはダムタイプとしてはすごく面白いんですけども、また一つ形は変わってきてるような気がします。今回、カタログ用にいろいろな初期のインスタレーションとかパフォーマンスをまとめた時に思い出したんですけども、やっぱり昔はそれぞれの人のエネルギーがダムタイプにもっと集中してても全然大丈夫、ま、学生だったっていうのもありますけど、そういう状態だったのが、今はやっぱり、それぞれの活動があってその間にダムタイプというのが入ってきてるので、今度は、社会ってそういうグループをちょっと考えないと動いて行かないんだろうなと思っているところです――っていっても別に僕が動かしてるわけじゃないんですけど。だんだん形も変わってきているなあ、と。作品もどんどん変わってきてるような気もしますし。
【浅田】 それでいま新作の準備中で、来年京都で上演予定ですね。
【高谷】 3月ですね(*パンデミックのため中止)。
【坂本】 ロームシアターで集中的に作ってたやつだよね。
【高谷】 そうです、そうです。
【坂本】 今年の夏だっけ?
【浅田】 上演予定は来年の3月だけど、準備は1年以上前から続いてて、今年の3月には公開リハーサルがあった。社会性が強調されるご時世なんで、制作途上のワークショップを公開するとか、面倒なことをしなきゃならないんだけど、ダムタイプに限っては、放っておくといつまでたっても制作過程が終わらないから、きっかけとしては悪くないかもしれない…。
【高谷】 1年かけて劇場の空いているところを月に1週間とか使わせてもらいながら作り続けてるんですけども、その非効率なミーティングが延々続いてるっていうか。
【浅田】 我ながら非効率だと思うでしょう?
【坂本】 でもまあそれがDタイプのやり方なんだからしょうがない。
【浅田】 ひたすら効率を求めるというのが悪しき資本主義なんですよ。
【高谷】 いやいや、効率を求めますよ。もう無理です。(笑)
【坂本】 体力がなかなかもたなくなってきてる。
【高谷】 そうです、そうです。もうそろそろ先も見えてきたので。
【浅田】 4×4のレコード・プレイヤーをこれまたグリッド状に並べた『プレイバック』の展示室で、山中透さんの音楽が鳴っていて、すごく懐かしかったけれど、新しいメンバーが加わる一方、かつてそれぞれの時期に重要な役割を担った山中さんや池田さんのようなメンバーがまた制作現場を見に来たり、そういう開かれたコレクティヴとしてのあり方がいいですね。
【高谷】 それはもう全然。今日も古いメンバーが見に来てくれてたりするんですけども、オープニングの時も来てくれてたりして、そういう古い人たちが今後何かの形でダムタイプがもし展覧会を新しく何かつくるとしたら、またそういう古いメンバーも戻ってくる可能性も別にないっていうわけじゃないですし、もっと新しい人とか、まあ、なんかいろんな人が、何ていうか、もっとバラバラなままうまく融合していけるような形態で展開していければ面白いだろうなと思ってます。
【坂本】 不定形ってことですよね。境界がはっきりしていない面白さ。
【浅田】 高谷さん自身、個人名でパフォーマンス作品やインスタレーション作品を発表している。そういう自立したアーティストたちが、その都度ある種の柔らかいネットワークを作ってコラボレーションする、と。
【坂本】 軍隊的な整然と並んでるような組織とは正反対だということですよね。
【浅田】 それは効率が悪いんだけど、だからこそ長く続けられるんだと思うな。我々がせっかちすぎるんですよ。
【坂本】 ぜひその伝統を保持して頂いてですね。
【高谷】 いやいやいや。うーん、そういう意味では新しい作り方っていうか、さっき言ってたような効率的な作り方じゃないんですけど、皆で協議しながらひとつになってた時っていうのは、簡単に言うといい作品ができる時って絶対そういう状態になってると思うんですね。例えば映画にしても関わってる人それぞれ皆が責任感をもって一つのプロジェクトに投入している時っていうのはいい作品ができてるだろうし、会社とかでもそんな気がする。僕は会社勤めの経験がないですけど、会社とかも結局はそういう時期っていうのがあって、そういうふうに盛り上がるんだろうなと思うんですよ。なので、それをどのように、次にどんな形態があるのかっていうのを探りながら続けていってるような気がしますね。
【浅田】 YMOだって「解散」じゃなく「散開」って言った、あれはいい言葉だと思うんですよ。散開しただけだから、また集合してもいい、と。
【坂本】 それでね、再結成って言葉が大嫌いなんですよ、僕。人のバンドが再結成しても嫌なんですけど。解散も再結成もないと僕は最初から思っていて、そういう風に参加したつもりだった。リーダーがいたとも思ってないのね、実は。実はいたんだけどそれは後になって知ったんだ。リーダーだったんだあの人、といま再認識してるところなんですけど。(笑)僕はそれぞれがバラバラで音楽の趣味もバラバラだしバックグランドもバラバラで、ま、みんなの能力とセンスを持ち寄って、なんていうのかな、ひとつ個人の名前ではない何か、something elseができればいいなと思って臨んだんで。そのリーダー格の人に、僕と高橋くんが呼ばれて、「バンドを作りたいんで入らない?」って誘われたわけですよね。富士山の絵が書いてあってさ。その時にはっきり言ったのは、「自分のソロ活動をしているのでソロ活動がメインで時間が空いてる時にやるんでよければ参加してもいいですよ」とかって、27くらいの僕はすっごい生意気な返事をして、「それでもいいから」っていうんで、「じゃあ、わかりました、やります」と。参加してみたらまあ、結構面白かったのね。僕は、ほら、ロックとかポップスの背景があんまりないから。彼らはほんとにおたくなわけですよ、ロックとかポップスの。僕にとってはとても新鮮で、学ぶことがとてもあって、でもそのロックをやるんじゃなく、まだジャンルとして成立してない「テクノ」っていうものを新しくはじめるっていうんで、とてもクリエイティヴな時間を一緒に過ごして、で、幸いなことにレコードを1枚目作ったら全く売れなかった。多分200枚、300枚とか?本当に売れなくて、まったく評判にならなかった。だからそんなに忙しくもならなくてああ良かった、と。自分のこともちゃんとできる、だけど3人集まって面白いこともできる、自分が一人でつくるものとは全く違うものだ、と。いい関係だったんですよ。それがその後急に売れちゃって、自分を犠牲にしなきゃいけなくなっちゃってね。何の話でしたっけ?組織論の話ではあるんですけど。
【高谷】 じゃあダムタイプと反対ですね。
【坂本】 そうですね。
【浅田】 ダムタイプのようにやれるはずがあまりにも売れてしまって…。
【坂本】 だからダムタイプは売れなくて良かったですね。(笑)
【高谷】 そうですね。(笑)
【坂本】 冗談です。(笑)こんな立派なところで展示をしてるわけですから、ほんとはもう充分売れてるんですけど。まあ僕はロック世代ではあるんですけど、バンドっていうのはそういうフラットな関係性でできているとずっと幻想を持っていたのね。入ってみたらというか実はやっぱりヴォーカリストがリーダーだったりスターだったりして、他の人たちは伴奏みたいな、そういう力関係ができていて、非常につまらないなと思っていたんです。フラットな関係性にあこがれを持っていたから…
【浅田】 ダムタイプも実は古橋悌二が実質的な中心だったとは思うけれど、上から「ああしろ、こうしろ」と命令するボスじゃなくて、困った顔をして「んーー」とか言っている、気に入らなさそうだけど何が気に入らないか言わない、だから皆がそれぞれに考えて頑張らなきゃいけなくなる、と。
【坂本】 はっきり言わない人たちだしねえ。
【高谷】 いやいやいや。まあでもそうですね。
【浅田】 京都人といえば京都人らしい。ただ、太陽ではなく月というか、そっちの方向で極端な例をあげると、ピナ・バウシュもそうなんですよ。ダンサーが練習していて思うようにやってくれないと、うつむいてハーッとため息をつくだけ。これはもう恐怖の瞬間で…。
【坂本】 皆が一生懸命考えるっていう。
【浅田】 それで、できるようになるまでとことん待つんです。リスボンがヨーロッパ文化首都だった年のピナの公演に数日付き合ったとき、隣国スペインの話になって「フラメンコは最初は面白くても長く観ていると退屈だ」とか言ったら、「いや、あれは朝の7時頃が一番いいのよ、それまで待たないと」と。朝の7時まで付き合ってたら、いつ寝ていいのか。
【坂本】 スペイン文化はそうですよ。
【浅田】 ピナ自身、タンツテアター・ヴッパタールの公演には必ず付き合って、それからダンサーたちを誘ってクラブに行って食事や音楽を楽しんで、早すぎた晩年でも午前4時くらいまで帰らなかった。時が煮詰まって煮詰まって、最後の最後、それこそ貴腐ワインのように甘美な一滴が滴り落ちるところまで待つんです。待っても落ちなかったら諦めるだけ。いや、何度か本公演前日のドレス・リハーサルを観に行ったことがあるけれど、けっこうとっちらかった感じのままのこともあって、ピナが首を振りながら「まあ、どうしましょう! 違うの、これはパフォーマンスじゃないの」と。それが翌日の本公演には紛れもないピナ独特の作品として立ち上がっている。ボブ・ウィルソンのようにてきぱき仕事をこなしていく人もいるけれど、ピナ・バウシュは「これぞアーティスト」という感じでしたね。
【坂本】 あの、一番過激な頃のニューヨークのクラブなんかも、朝7時くらいが一番面白くなるんですよね。5時くらいから面白い人たちが集まってきてもう明けてるんだけど7時くらいですよね。
【浅田】 スペインはまだシエスタがあるけど、NYはどうするんでしょうねえ。
【坂本】 そのまま寝ないんでしょうね。
【高谷】 でもなんかその頃のNYは朝まで踊っててそのままっていう感じでしたよね。あんまり寝てなかったというか…。
【坂本】 寝てなかったですね。
【高谷】 若かったんだと思います、遊びに行ってたとき。スペインなんかもっとすごいですよね。ある朝、クラブが終って古橋とかはドラァグ・クイーンのままなんだけど外にでたら背広着た人がざーっと駅に向かって歩いてる中を我々は駅の路地裏のクラブから出てホテルまで歩いて帰る。
【坂本】 奇声を発しながら歩いているという…。
【高谷】 昼間という…。
【坂本】 今でもNYだと午前中にそういう子たちは歩いてますけどね。週末とかね。奇声を発しながらね。
【浅田】 アルモドバルに代表されるスペインのクィア・カルチャーはファッショナブルだと思われているし、現にそうなんだけど、スペインはフランコ総統が75年に死ぬまで、ほとんどの世界では45年に終わったファシズム体制がまだ続いていたわけで、そういうマッチョな家父長制からの解放に際してアルモドバルらのクィア・カルチャーは政治的にも大きな意味をもった。アクティヴィズムとかいう意識はなくとも、ドラァグ・クイーンたちと朝まで遊び歩くことが政治的だったんですよ。
【坂本】 そのアルモドバルの『ハイヒール』‘(1991)という映画の音楽を頼まれたときに、「スペインの映画でスペイン文化をお前は音楽で表さなきゃいけないから、一晩じゃ無理だけど」ってマドリッド中引き回しの刑ですよ、アルモドバルに。いつも彼の映画に出てくる綺麗な俳優たちがみんな遊び仲間でまあ実際友だちなんですね。みんなに紹介してもらって引き回されて、やっぱり朝の7時とか8時、もうみんな会社に行く頃に、まだきゃーきゃー言ってるわけです。「いつ寝るんだ?」って言ったら「自分たちでも分からない」って言ってました。いつ寝てるんだか。おもしろいなと思いました。そういうことがあって、同じ頃にさっき言った大阪の古橋くんたちのパーティーがあったので「大阪って狂ってる、マドリッドみたいだな」と思ったわけです。
【浅田】 あれは大阪といっても例外ですよ。
【坂本】 あの辺だけか。
【浅田】 大阪全体は一貫して「吉本」です。
【坂本】 なるほど、そうでしたか。
【浅田】 とまあ、そういうリズムなんで、ダムタイプはたまにしか作品を発表してこなかったけれど、その分だけ粘り強く続いてきたとも言える。久しぶりの新作を準備しているいま、最初期からの記録をまとめたこういう展覧会が開催されたわけで、パフォーマンス・グループの仕事を展覧会という形で見せること自体の限界があるとはいえ、あまり知られていなかった部分に光が当てられたという点でも意義深い出来事だったと思います。最後に展覧会のことを聞いておきましょう。古橋悌二没後の『OR』『memorandum』『Voyage』という3作品を圧縮してまとめたヴィデオ作品が巨大なLEDウォールとして展示されていて、そのスケールと精度は圧倒的と言うほかないけれど、反対側の壁にはパフォーマーたちの痕跡の残る『Voyage』の鏡面の床が展示されている。今までのパフォーマンスの『アクション』は終わっても『リフレクション』がああいう形でまとめられているとも言えるし、二つの壁が互いの『リフレクション』であるとも言える。それに象徴されるこの展覧会がどのように構想されたのか…
【高谷】 そうですね、『MEMORANDUM OR VOYAGE』っていう LED ヴィデオ・ウォールを使っている作品は、2014年に東京都現代美術館で野村萬斎さんが総合アドヴァイザーだったパフォーマンスとアートがテーマの展覧会のときに、ダムタイプで作品を出してほしいと言われたのがきっかけです。2014年っていうと『Voyage』っていうダムタイプで作った最後の作品から10年以上経っていて、最後のツアーが終わってからもかなり経っていたんですね。インスタレーションもダムタイプ名義ではもう全然作ってなかったので何かまるっきり新しいインスタレーションを作りたいんだけども、ダムタイプという名前でやるっていうのはどういうことなんだろうというのをもう一度そのときに考えて、じゃあ、昔の作品のコンセプトをもとに、もう一度ばらして、ひとつの映像の作品にできないかっていうのを想像した。あと、京都で『MARS』っていう火星の地表の写真をヴィデオ・インスタレーションにした展示をやって…。
【坂本】 Kyotographieですね。
【高谷】 そうです、Kyotographieで、『4K VIEWING』というソニーPCLの LEDヴィデオ・ウォールを使ってたんですね。LEDヴィデオ・ウォールのあのマテリアル感っていうか、黒が真っ黒で、映像が消えていくとほんとに単なる黒い壁になる。プロジェクションだとイメージがスクリーンの上に乗ってるっていうことになるんですけど、LEDヴィデオ・ウォールは自発光なので、光が消えていくとほんとに真っ暗になるんです。そこが面白いなと思っていたので、それを使ってインスタレーションが作れるんじゃないかっていうことで、ソニーPCLに協力をお願いして、LEDヴィデオ・ウォールを使った作品を作らせてもらったのが始まりなんですね。そうやって作ったんですけども、東京で展示した後に、ローマとかいろんなところから展示のオファーが来た。そうなるとLEDヴィデオ・ウォールでの展示は無理なので、プロジェクションで展示するヴァージョンを作ったんです。ポンピドゥー・センター・メッス分館ではそれを展示したんですね。だからソースは一緒なんですけども展示装置が全然違う。ただ、メッスのときは、映像とまったく同じサイズで、縁に枠がない端ぎりぎりまでぴったり投影できるような専用のスクリーンをつくったんです。今回、もう一度『MEMORANDUM OR VOYAGE』を展示することになったので、ダメもとでソニーPCLに相談してみたら、ありがたいことに機材協力をしてもらえることになり、そういう経緯でLEDで展示できているっていうことなんです。その向かいにある『Voyage』の鏡の作品は『Trace-16』というタイトルで、あれは鏡なんですけど、鏡としての意味っていうよりは、そこに残っている傷、パフォーマンス中にできた傷を見てもらう作品なんです。奥の壁が黒くなってるのも傷がよく見えるように真っ黒にしてるんですね。リフレクションでもあるんですけど、リフレクションっていうのは、内省するっていうか、内部を見つめていくというような意味で展覧会のタイトルにもなっているので、鑑賞者が自分の内部との会話の中で、作品が映像と自分との間にあるような感じで見つめてもらうというような…。最初のレコード・プレイヤーが16台ある部屋もそんなことだと思っていて、そこに作品があるんじゃなく、その音と光と自分との間にあるような何かを見るような作品がずっと並んでいるように思っています。
【浅田】 さっきも言ったように、パフォーマンス・グループの展覧会っていうのは本質的な困難を孕んでいて、パフォーマンスを再演するのは難しいし、再演できたとしてもオリジナルとは違ったものにならざるを得ない、ヴィデオ上映があるからぜひ見るべきだけど、それがライヴ・パフォーマンスの替わりになるかと言えばそうはいかない。むしろ、アーティスト自身の中でも、観衆の中でも、内省も含めて反映が反映を生んで変形していく、その過程を見せているような感じですよね。他方、新作は新作で今度また新しくやる、と。
【高谷】 そうです。
【坂本】 新作っていうのはちょっと想像できないな。どうなるんだろう。
【浅田】 どうなるんですか?
【坂本】 予想できない。
【高谷】 それはちょっと言えません。(笑)
【坂本】 楽しみですけどね。
【浅田】 ちなみに高谷さん個人は『明るい部屋』『クロマ』『ST/LL』と素晴らしいパフォーマンスを作ってきて、『ST/LL』は舞台の床が水面になってるんだけど、このあいだのシンガポール公演では、それをそのままにしておいて、翌日、坂本さんがそこにピアノを置いて演奏されたんですね。
【高谷】 『ST/LL』の音をまず坂本さんにお願いした経緯があって…。
【坂本】 原摩利彦くんもやってるけど僕も少し音をほんのちょっとだけ提供してるんですよ。だけど『ST/LL』は今まで海外でも何回も公演されてるんだけど、自分が音を提供しておいて一度も見ていなかったので、今年の5月にシンガポールで『ST/LL』の公演をやるっていうから見に行っただけなんですよ。見に行くって言ったら、シンガポールの人が「来るんだったらどうしても何かコンサートをやってくれ」って。実は最近あんまりソロのコンサートをやってなくて、結果的に今年2019年の僕のソロ・コンサートはそのシンガポール公演1回だけ。じゃああまり大掛かりなものじゃなくて何かできることはないかなと考えたときに、『ST/LL』の水を張ったステージを使ってその上でコンサートらしきものをやろうという発想になった。で、水の上にピアノを置いて、ギターや音の出るものをいろいろ置いて、水の中をジャボジャボ歩いて、ただ歩くだけじゃ勿体ないから水を歩くと波紋とか音で音楽が変容するようなことも考えて、あれは楽しかったですね。結果的に水が楽器のひとつになって追加された。それをまあ香港とかいろんなところの関係者が見に来てくれたんですけども、今後僕のコンサートは水なしではやらない、と。ノー・ウォーター、ノー・ミュージック。
【高谷】 いやいやいや。
【浅田】 それはピアノの調律師が可哀想ですよ。
【坂本】 とっても良かったですよ。
【浅田】 確かに、昔からタルコフスキーの水の世界が好きって言ってましたよね。
【坂本】 そうです。はい。
【浅田】 水に浸された終末のあとの世界で、美しい音楽が響く…。
【坂本】 もちろん、水の表面や中にマイクを仕掛けて水の音も音楽の一部として使って、ぴちゃぴちゃいう音とか、波紋の音とか、それがライヴ・カメラで映像にも映されて、その映像に映ってるのが水鏡のような水面に反映される。ものすごく綺麗。しかも、そこは歩くとそれが波紋となって映っている逆さの映像にワーッとモジュレーションがかかるという非常に綺麗なものです。もともと僕はいわゆる普通のコンサートってのはそんなに好きじゃなくて、いわゆるコンサートじゃなく、インスタレーションなのかパフォーマンスなのか音楽のコンサートなのかわからないぐじゃぐじゃなものをつくりたいと、この何年間かずっと思っていたので…。
【浅田】 設置音楽というのもその試みですね。
【坂本】 まあそうですね。まあ生身もやるけども設置もあるというようなね。境がないような。これが本当に『ST/LL』のステージのおかげでできたんで、今後はもう水なしではやらないことになってます。
【浅田】 今度は香港でやられるんですね。
【坂本】 4月にね。だから水ありでやらしてもらいますよ。(*パンデミックのため延期)
【浅田】 いまここにキュレーターやプロデューサーの方がおられれば言っておきたいんだけども、いまのシンガポール、香港、あるいは台湾、韓国、中国、どこでもみんなものすごく好奇心に満ちて野心的で、こんな素晴らしいものがあるならどうしても呼びたい、と。ところが日本は…
【坂本】 日本からお呼びがかからないです。なぜか。
【浅田】 貧すれば鈍するっていうか、とくに東京は異様にプロヴィンシャルになって、アートの世界でもたいていTVで受けるような大衆的なものしかやらなくなってしまった。長谷川さんのように良かれ悪しかれ無謀なキュレーターの存在は貴重だけれど、いまや例外ですよ。東京以外でも、村おこし・町おこしに貢献する地域アートとか、もうみんな凡庸なお人よしみたいなことばっかり言ってて…。
【坂本】 呼ばれるのはICCとかMOTとかアート関係ばっかりで、まともな音楽のプロモーターの方、声かけてくれないですね。
【浅田】 それは大問題ですね。
【坂本】 問題ですよ。収入源がほとんど絶たれてるという。どういうこと? 冗談です。
【高谷】 それで言うと中谷芙二子さんとも数年前にオスロで坂本さんのコンサートとか霧と音のインスタレーションをやりましたけど、その前の2013年に山口情報芸術センター(YCAM)で坂本さんと展覧会をやったとき、中谷さんの霧と、その霧をキャプチャーするカメラの映像によって音が変わっていくっていうインスタレーションを屋外で展示して、その時にちょっとしたコンサートをされて…。
【坂本】 『LIFE-WELL』ですね。
【浅田】 お寺に井戸みたいに四角い古池があって、そこを霧で満たした展示が素晴らしかった。
【坂本】 あのときに同時にYCAMの中で野村萬斎さんら能楽師の人達と、イエイツの『鷹の井戸』とそれに影響されてできた『鷹姫』を換骨奪胎したようなものをやった。多分それで高谷さんが萬斎さんと知り合って、それが2014年に繋がったんですよね。
【浅田】 そもそも坂本さんと高谷さんの一連のインスタレーションが素晴らしかった。
【坂本】 3つあったかな。『Forest Symphony』と『water state 1』、それから『LIFE-fluid, invisible, inaudible…』の空間の中での能と、あと屋外の『LIFE-WELL』――枯れた池の中に仕込んだ霧がでてきて、霧の状態をリアルタイムでキャプチャーして音が変化するっていうやつ。
【浅田】 それを中谷さんが見に来られて、「ああ、坂本さんと高谷さんがやると霧もほんとに綺麗な芸術になってしまうんですね、私なんかずっと反芸術だから」と。
【坂本】 「私、アンチアートよ」って。
【浅田】 まったく悪気はないんだけど、中谷さんらしい一貫性が見事。
【坂本】 あれには頭あがらない。
【浅田】 だけど「美しくて何が悪い?」とも言いたくなる――坂本さんと高谷さんの一連の作品はそれほど美しいものでした。
【坂本】 「アートね」って言われちゃったもんね。
【浅田】 ただ、反芸術といっても中谷さんの場合は単純な反体制じゃない。岡﨑乾二郎さんが『霧の抵抗』という中谷芙二子論で書いているように、霧を形成する個々の粒子は自由で、しかしそれがノンリニアな相互作用によって、いろんな形の雲のようになったり、またふわっと雲散霧消したりする、その変幻自在な動きがひとつの抵抗の形なんだ、中谷さんがヴィデオを使ったメディア・ネットワークでやろうとしていたこともそれに通ずるんだ、と。権力の壁に正面からぶち当たって自滅する反体制じゃない、相手をふわっと煙に巻きながら闘争=逃走を続けるようなしなやかな抵抗。それは政治のメタファーでもあると同時に、さっき言ってたようなアーティスト・コレクティヴのあり方にも繋がってくるんじゃないか。不定形な霧で、雲散霧消したかと思ったら、またヒューッと集まって新しい形を生み出すというか、そういう動きがとても魅力的だと思います。
【高谷】 そうですね、不定形なもの。もちろんダムタイプの結成時には中谷さんのことを知りませんでしたけど、ただ、中谷さんの作品っていうのは、そのずいぶん前に1970年大阪万博で見ていたわけなんですよね。
【浅田】 そう? ペプシ館の霧を知ってた?
【高谷】 はい。でも写真とかで見たので実際には見てないですけども。それに当時は作品として認識してたわけじゃなくて…
【浅田】 作品というか、ロバート・ラウシェンバーグやビリー・クルーヴァーらのE.A.T.(アートとテクノロジーの実験)というグループがペプシ館を担当することになって、実際デイヴィッド・テュードアを中心にやっていたんだけれど、ペプシ館のドームが不細工だから「芙二子、あれを隠せ」と言われて隠すために霧を出しただけだ、と言ってましたよ、冗談半分かもしれませんけど。それが霧の芸術のお披露目ですね。
【高谷】 メディア・アートとかそういう僕たちがやってるようなアートの元々のコンセプトにはああいうアートがあるんじゃないかと思うんですね。中谷さんは70年代初頭にはヴィデオ・アートを制作されて、水俣病のような社会問題を取り上げられたり、東京で有名な絵画の展覧会に長蛇の列が出来たその様子をヴィデオ作品にしたり、何ていうのかな。社会性っていうのか、社会との関わりの中で自分が何をどうやっていけるのかっていうことを追求しておられた人でもあるし、霧をメディアとするときも、それを綺麗に扱うだけじゃなくて、真っ白になってホワイトアウトして怖いとか、制御不能とか、そういうことまで含んだ現象として考えていくっていう感じなんですね。メディアによって今までの日常が切断されてそこの切断面が目の前に突きつけられるような、なんかそういう作品っていうのがメディア・アートのコアにあるんじゃないかなと、今になってからの感想ですけど、なんとなくそんな気はします。
【浅田】 中谷さんは環境アートの先駆者であると同時にメディア・アートの先駆者でもあって、そこでは社会の問題が深い形で織り込まれていた、それは高谷さんの言う通りだと思います。1970年大阪万博というと『丹下健三の大屋根』対『岡本太郎の太陽の塔』というマッチョ的でファリックな対決ばかり注目されちゃうけど、その傍らで中谷さんがもっとラディカルなことをさりげなくやっていたっていうのはすごく面白いし、高谷さんも坂本さんも直接・間接に中谷さんの問題意識を引き継いでいるという感じがしますね。
【坂本】 なるほど。僕はもう18になっていたので大阪へ見に行きましたけど、音楽はもうやっていたのでまずは鉄鋼館。これがすごくて。
【浅田】 鉄鋼館は前川國男の設計で、1000個以上のスピーカーを吊った円形のホールがあり、音楽は武満徹が中心になってヤニス・クセナキスや高橋悠治らと電子音楽をやり、宇佐美圭司がレーザー光線でそれを彩った。それが鉄鋼業界のパヴィリオンなんだから。
【坂本】 よかったですね。未だに忘れられない。ペプシ館も見てるはずなんですけど、霧の記憶はないですね、残念ながら。あの横尾さんなんかもやっていたし。
【浅田】 横尾忠則がせんい館のディレクターで、工事中の状態で止めろと言って足場や作業員の人形を全部真っ赤に塗った――シーガルの彫刻を赤くしたような感じで。他方、中にはマグリットの等身大の人形が何十体も並んでいて、松本俊夫の実験映像が流れていたりする。それが繊維業界のパヴィリオンなんだから。
【坂本】 あれもとてもよかったし、あとはドイツ館でシュトックハウゼンのライヴを見た。本人がそこにいてやってる、これはちょっと鳥肌が立ちましたね。今から思うと音楽としては割とつまらなかったかもしれないけど、本人がそこにいるっていうのはね、驚きましたね。
【浅田】 あれは科学技術の進歩と前衛芸術の前進が奇蹟的に交差した一瞬だったのかもしれませんね。いま鉄鋼館やせんい館でそんなコンセプトを提案しても絶対に通らない。大衆迎合一本槍というか、アニメだのゆるキャラだので子どもでも楽しめるようにしないといけない。ところが、当時は政治家や経済人も、わからなくていい、むしろわからないぐらいが先端的でカッコいい、と思っていた。
【坂本】 前衛――そういうコンセプトがまだあったんですね。
【浅田】 技術的にも文化的にも最先端でありたいっていう野心があったんですよ。むろん、その種の進歩主義を無批判に讃美することはできない。でも、誰にでもわかりやすく楽しめること、大衆の共感を呼ぶことしかできなくなっている現在から振り返ると、あの野心は貴重には違いない。さっき言ったように、いまアジア各国にはそういう野心がありますよ。
【坂本】 そうですね、今の日本には残念ながら薄いかな、それは。
【浅田】 われわれが喋りすぎて話がそれたので、そろそろ締めくくらなきゃいけないんですが…。
【坂本】 大体言いたいことは言ったので十分ではないでしょうか。じゃあ一言、どうぞ。
【高谷】 こんな展覧会がいまできてるっていうのは、ほんとにありがたいことで、今回ダムタイプっていうのを僕自身も整理して見直すことができましたし、過去を振り返るだけじゃなくて前向きに捉えられるようなポイントを来た人が見つけだしてもらえるような展覧会になっていればいいなとは思っています。なんかそういうことを考えながら作ってました。なので、もし今日話を聞いて、「あれ、そんなことがあったのか」「そんな風だったのか」と思った人は、もう一度見てもらえたらありがたいです。
【坂本】 僕はポンピドゥー・センター・メッス分館でやった展示も見てるんですけども、別に長谷川さんにお世辞を使うわけではないんですが、東京都現代美術館の方がより展示として完成されてるというか、空間も大きいし、内容も整理されていて、素晴らしい展示だと思います。特に僕が好きだったのは、一番最後にあった当時のノートとかチケットの類い。同人誌のような非常に手の込んだのが実はダムタイプのチケットだったりする。それらがああいう風にガラスの中に展示されていると、ほとんどパリのポンピドゥー・センターの上階にあるダダイストやシュールレアリストたちの展示のように見えるんですよね。もしかしたら彼らも当時はこのような感じでふにゃふにゃと適当にそのへん手書きでやってたのかもしれない。手作りでやってたのが、今や100年たてば立派なアートじゃないですか。ダムタイプのもやっぱりアートなんで、今のうちに「お値段はおいくらぐらい?」と。 いや、それは冗談ですけど、あれを出したのは本当に素晴らしいと思います。なんか、最初、嫌だとか言って抵抗したらしいけど、あれは貴重ですよ。
【浅田】 それから、ありとあらゆる記録を収めた巨大な本、あれもすごいですよね。
【坂本】 もうあれは労作、労作ですよ。展覧会カタログ(『DUMB TYPE 1984 2019』河出書房新社)も追って出版されるんですね。
【浅田】 大昔にぼくなんかが書き散らして忘れてたようなビラの文章なんかもコンパイルされてて、すごく面白そうです。あと、『memorandum : teiji furuhashi 』(Little More)という本がここのブック・ストアにも置いてありますが、古橋悌二の文章や発言を軸とする素晴らしい本なのでぜひ。僕の追悼文なんて泣けるでしょう?
【坂本】 涙ちょちょぎれる。
【浅田】 泣かす気満々で書いてるから。他方、展覧会カタログを兼ねるダムタイプの本も出るし、来年には新作も予定されているので、ぼく自身、楽しみに待ちたいと思っています。東京都写真美術館での高谷さんの個展でこの3人で話した(『高谷史郎 明るい部屋』展 特別アーティスト・トーク全記録)
とき同様、高谷さんにもっと話してもらうべきところ、われわれが喋りすぎてしまいましたが、あとは長谷川さんに総括していただくということで…。
【長谷川】 高谷さんとか今のメンバーにお願いをしてポンピドゥー・センター・メッス分館で展覧会をやって頂いたんですが、1995年に古橋悌二さんが亡くなる前に、私が古橋さんと約束を違えた事があって、パフォーマンスを見れなかったんですね、カナダで。古橋さんはものすごく怒ってて、「じゃあ、それやったら展覧会して」って言われて、え!って言ったら、とにかく世界巡回をするダムタイプの展覧会をいつかしてって言われたんですね、一応その約束を、こんなに長くかかってしまいましたけれども、やっと果たすことができてよかったと思っています。パフォーマンスってやっぱり時間芸術なので、どんどん忘れ去られていく、その中でインスタレーションも含めて今回お出ししたああいうもの――私たちは静物と呼んでるんですけれども、『pH』で使ったテニスボールとかそういうものも含めてお出しすることで、皆さんにもう一度素晴らしい確かなアーティストたちが活動していて今でも続いていることをひとつのエンカレッジメント、ひとつの励ましとして共有したかったということがあります。と言うのは、私は大学で教えてもいるんですが、学生たちはYouTubeでしかダムタイプを知らないんですね、で、なんだかわかんないけどかっこいいからやってくださいって言う、それもすごくありました。だからなんだかわからないけどかっこいいっていうものがじゃあ何だったのかというのを、今日、存分にこの3人の話で伝えていただいたと思います。皆さん共犯者でよくいろいろ本当に――いろんな意味でこういうのを共謀(conspiracy)というんだと思うんです。そこにどうやって加担してみんなで一緒に乗っていくのか、と。それで浅田さんが的確に指摘して頂いたとおり、本当にいまソーシャリー・エンゲージドで何かアートが正義とか義務のための道具になっているようなところがありますが、そうではなくてアートというのはやはり遊びであり、欲望(desire)であり、やりたいからやってる、そして見たい人は見たいから見てる、それが喜びであり、それについていろんなことを考え始めたりする――そういうものすごくプライマルなことっていうのを、今日の3人のお話で、本当に企画者として考えていることを見事にお話頂いたと思います。本当に3人の皆さん素晴らしいエピソードで、本当に的確なお話ありがとうございました。もう一度拍手をお送りください。
【坂本】 さすが素晴らしいまとめですね。長谷川さんが言ってくれたことに一言付け加えると、「見る権利を奪うな」というふうに見る側はもっと言っていいんだと思います。