2017年03月17日(金)

記憶の灯火を絶やさないためにー3月11日(土)remo読み歩きクルーズ「あの日の"あとを追う"-記録すること、残すこと」

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3月11日(土)、MOTサテライト関連プログラムとして、
remo読み歩きクルーズ「あの日の"あとを追う"-
記録すること、残すこと」を実施しました。
remo(NPO法人記録と表現とメディアのための組織)は、
MOTサテライト参加作家の一人。今回のクルーズは、
remoに所属する松本篤氏が本展のために制作した
清澄白河界隈にゆかりのある二人のインタビューから
構成される記録冊子『あとを追う』に登場するいくつかの
場所を実際に訪れ、記録を残すことや、経験を共有しない
ことの意義を考える企画。


参加人数は当初定員10名程度の予定でしたが、
最終的には18名が参加。
ナビゲーターは、remoの松本氏。
そして冊子『あとを追う』に登場するお二人にも
ゲストとしてご参加いただき、それぞれのゆかりの
場所で直接お話を伺いました。
ゲストのお一人は、昭和30年〜50年代の清澄白河界隈を
8ミリフィルムで撮影した70歳代の男性。
もうお一人は、東京大空襲に遭う日まで清澄白河界隈に
暮らしていた70歳代の女性。



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remoの展示会場であるMOTスペース6「平野の旧印刷所」に集合し、
今回の企画主旨等を説明した後、早速クルーズに出かけました。
最初に訪れたのは、MOTサテライト参加作家の一人、
松江泰治氏の作品が展示されているMOtスペース4「赤い庇の旧印刷所」。
松江氏の作品は、現在の清澄白河界隈を空撮した写真作品。
参加者と一緒に、まずは現在の清澄白河界隈の様子を把握しました。



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次に訪れたのが、男性ゲストの生家があった小名木川に
架かる高橋(たかばし)のふもと。
現在その場所には大きなマンションが立ち並び生家の
痕跡はありません。男性はまだ家があった昭和37年頃、
家の屋根に上り周辺の景色をぐるりとパノラマ状に撮影し
記録に残しています。この写真と現在の橋のたもとの
様子とを見比べながら、当時の様子を語っていただきました。
写真に写っている建物のほとんどが今は無く、
別の建物になっていますが、写真の中の質屋の蔵は、
現在も同じ場所にあり営業しています。
男性は幼少の頃、小名木川は川底が見えるほど綺麗で、
高橋の欄干の上に塔(今はありません)があり、
そこに上って川へ飛び込む遊びを良くやっていたとのこと。
高橋には当時都電が通っており、電車が通るたびに
「乗客に見せつけるように飛び込むのがかっこ良かったんだよ」と
満面の笑みで語ってくれました。
少年時代の思い出を昨日のことのように活き活きと語る男性の姿をみて、
まるでこの橋のたもとで一緒に遊んでいるかのような錯覚に陥りました。




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高橋を後にして、小名木川の沿道を歩き、川に架かる大富橋を渡り、
東京都立墨田工業高等学校の校門前に向かいました。
ここからはもう一人のゲストにお話を伺いながら歩きます。
ゲストの女性の実家は、この付近にあり、父が医者で病院を
営んでいたそうです。
1945年3月10日この場所で彼女は空襲に遭い、
その日は6歳の誕生日でした。
30代の時に当時の様子を一度体験談として『戦災誌』に
寄稿していますが、60歳になるまで、当時のことを思い
出すのがいやでその後は誰にも語ってこなかったそうです。
今回remoの松本氏との出会いをきっかけに、
こうしてご自身が空襲にあったこの辺りを歩き、
当時の記憶をたどってもらいました。
生々しく語られる記憶の数々に参加者も神妙な面持ちになり、
目の前に広がっている今の風景に空襲の光景が重なります。
お話を伺っているとベビーカーを押す母親が偶然横を通りかかり、
また、道ばたで遊ぶこどもたちの姿も目に入りました。
当時もこうした平凡な風景が一夜にして奪われ、
一変してしまったのかと思うとなんともいえない複雑な
気持ちになりました。
ゲストの語りは、その場を共有していないはずの我々の記憶にも
痛ましい風景を新たに記録させてくれます。


今回のクルーズでは、ゲストのお二人の生の語り(記憶)を
聞きながらもう一度まちを見つめてみました。
経験を共有することのない参加者(他者)同士が一時的に集まり、
残された記録を手がかりに清澄界隈を共に歩くことで、
まちの見え方が一変する、そんな経験の創出に遭遇できたのでは
ないでしょうか。
ゲスト自身も語りを通じ、新たな記憶がよみがえり、
再更新されていく。
その場所はゲストにとっては特別な場所、思い出の場所、
参加者にとっては、縁もゆかりもない場所であっても、
お互いに、あの日、あの時の記録を読み、その後の記憶をたどり、
個々人の中に新しい記憶として記録される。
「あとを追う」ということは、記憶の灯火を絶やさないようにする
再生と更新をくりかえすことでもあり、そして、それをまた記録し
残していかなければならないのだと強く実感した一日となりました。
(G)

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