2015年10月07日(水)

オスカー・ニーマイヤー展 SANAA西沢立衛氏による作品解説⑤ブラジリア

⑤ブラジリア
※N:西沢立衛氏、H:長谷川祐子(当館チーフキュレーター)

H:世界遺産に指定されたブラジリア、ブラジルの首都をご紹介します。
クビチェックが1956年に大統領になったときに、オスカー・ニーマイヤーに新しい都市の建物にふさわしいものを、と依頼しました。そしてルシオ・コスタがマスタープランをつくり、実際に着工されて3年半で、1960年に仕上がるという超スピードで出来上がったひとつの新しい思想の在り方です。この時代のひとつの新しい完成を見て、ブラジルというものがモダンを超えて未来的なところまでひとつのビジョンを示した、つまりブラジルという国自体のイメージを一掃したと言われるほどの大きな効果がありました。ひとりの建築家がここまで大きな建物をて手がけ、都市をつくることに貢献した、ということは世界的にも例のないことだと言えると思います。その効能としてここに図面がございます。こういう複合建築に関しては、こうしたサイトプランを展示しているのですが、メインの建物のうちの複数を選んでいます。
大きな構造に関しては西沢さんの方からお話しして頂いてもいいでしょうか。

N:ニーマイヤーはブラジリアでは、鉄骨造はあまり大々的にやっていません。鉄骨のような高度で専門的な技術ではなく、誰でも工事に参加できるコンクリートを中心に建設しています。クビチェック大統領の、50年の進歩を5年で、というものすごいスローガンがあって、それが本当に実現されてしまったもので、建設当時は相当いろんなことがあったんだろうなと思います。本展覧会の映画にも出てきますが、ニーマイヤーは仲間とブラジリアに乗り込んでいきます。インフラも十分でない中、現地で図面を引いたと言っていました。ほぼ大自然のなかで設計するというのもたいへんなことですが、これほどの短期間でこれほどの数の建築を実現するのですから、まさに昼夜を忘れて、死ぬほど働いたのではないか、と想像します。ただ、どのプロジェクトも形は派手ではありますが、よく見るとどれもさっき言ったような、意外につくれる、みんなで作れる形になっています。
やはり単に施設をつくるというより、モニュメントをつくるということがあったと思います。大統領官邸もそうですし、この大聖堂もそうですし、とにかく派手というか激しい、情熱的なものが出来ています。ブラジリアという一国の首都が、またその都市計画というものが、官僚的なものというよりも、ある種の個性というか、熱情というものをもった、素晴らしい例で、それが今後モダニズム以降の時代にも国の中心機能として使われていくとしたらそれは素晴らしいことだと思います。
ブラジリアはモダニズム以降、人工的な都市として批判された面もありましたが、しかし実際に行ってみると、人間が住むブロックは快適に作られています。彼がルシオ・コスタと一緒につくったブラジリアの住居地域のファーストブロックがあり、タイルと有孔ブロックでつくった素敵な集合住宅が並んでいますが、その配置計画は、中央には教会があって、商店街があって、そこは界隈みたいになっていて、いまは木々も育って日陰をつくっていて、派手ではないのですが人間的な地区になっていて、素晴らしいものでした。

H:ここにルシオ・コスタのマスタープランがありまして、みなさん写真で良く見ると思いますが、ここに19地区があり、今メインで見て頂いている大聖堂や大統領官邸も、この辺りに集中してあります。ですので、そういう意味でここの中心に象徴的なものを置いて、周囲に人々が住むための場所をつくっていった。弓と矢のイメージを持って頂けたらと思います。
西沢さんがおっしゃったように、シンボルとしての大聖堂は、ここに大きなステンドグラスがありますが、少し離れたところに入り口があり、地下をずっと歩いていった先に、いきなりこのフェアな空間が現れて、天使がこの上から降りてくるような、そういうイメージになっています。さっき暗いという話をされていたのですが、暗がりの中からひとつの聖なる光が現れる場にいきなり抜けていくようなイメージを強烈に持って頂けたのではないかと思います。
この大聖堂の16本の槍を束ねたような形、ここには入り口がないんです。外から形態としてのピュアネスを維持すると同時に、中での体験でもひとつのピュアネスを維持するということは、アートのキュレーターとしての立場から見ても興味深いポイントです。
この象徴的な大聖堂の他に、人々が住んでいる住居地区に小さな親密な空間としての教会をもうひとつつくるところに、ニーマイヤーの人間性が現れているのではないかと思います。
先ほど、何も無いジャングルのような荒野の中でつくっていたというお話しがありましたが、壁にいくつかのプロセスを写した写真があります。そこでどんな人たちが働いていたのか、建設過程がどんな様子だったのかを、写真によって編んでいますので、ご覧頂けたらと思います。
大学生たちが、大学が完成するまで外で学習している様子も写っています。電気やインフラがない状態でドローイングを描き、ぱっとテクニカルな図面が出来て、それはちゃんと保存されることなく消失してしまった。そのような現場の凄まじい様子、3年でこれをつくるというすごさ、ということも含めていかにこのブラジリアが素晴らしく、大変なプロジェクトだったかということを見て頂けるのではないかと思います。そちらにブラジルの全貌がどんなだったか、バードビューで撮った映像があるので、ぜひそれも見て頂けたらと思います。
では、アウヴォラーダ宮、暁の宮殿と言われている美しい建物があるのですが、これについてもニーマイヤーの独特の建築の言語があります。西沢さんお願いいたします。

⑥ニーマイヤー.jpg
手前:ブラジリア大聖堂模型(縮尺1/10),
奥:アウヴォラーダ宮(大統領官邸)の柱模型(縮尺1/2.67)
"オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産をつくった男"展示風景, 2015
撮影:江森康之

N:これは、僕は入ったことがないので良く分からないのですが、アンドレ大使いちおしのプロジェクトです(笑)。絶対出展だということでこの柱は出てきました。さっきも言いましたが、構造的な形ではあるんですけど、個人の情熱がほとばしるというのでしょうか。これもそうで、床レベルがあって、柱で、曲げ応力がここで集中するわけですからこういうカーブは確かにありうるんですが、それにしても全体としてみると、構造をそのまま素直に表現しているのとは違う、ニーマイヤー的な形になっています。
この大聖堂もそうなのですが、キリスト教の教会というのは多くはバシリカとか、定型で表現する訳です。ただここでは、ニーマイヤーの個人的な表現が出てきて、でもなんとなくカトリック的な祝祭的な空間と合っている、という不思議があります。彼のプロジェクトは個人のものでもあって、構造的に理にかなっているものでもあるんだけど、柱一本がこう何とも言えないモニュメンタルな存在にもなっている。ニーマイヤーらしい柱ということで、アンドレ大使のいちおしなのではないかと思います。

H:コンクリートの構造のなかに、ガラスの彫刻体が入っていますよね。

N:ボックス・イン・ボックスというもので、これはニーマイヤーがずっと追い求めていた型のひとつです。大きなスーパーストラクチャーをつくって中にガラスの建築を吊る。他にも、ミラノのオフィスビルとかいくつか例がありますが、これも写真を見て頂ければ分かるように、コンクリートの構造体のなかにガラスのキューブが入るという形をつくって、中間領域をつくる訳ですね、大きな構造体のなかに中と外の両方が生まれるという、これはニーマイヤーのなかで繰り返し出てきた建築言語です。構造ラインとカーテンウォールラインをずらすことができるので、表現としては確かに明快なものになると思います。

H:やはり、とてもフォーマリスティックでモニュメンタルな考えからこれが出来ていることもあるのですが、もうひとつ、ニーマイヤーの記録映像の中で、バルコニーの上に立っている人と、その下にいる人が話せるような、そういう佇まいにしたかったと本人も話しています。
ですので、この曲線やボリューム感、そういうシーンをつくるということからひとつ着想を得ていることをお伝えしたいと思います。
先ほど写真家の話をしましたが、こちらの壮大な鳥瞰図はイワン・バーンさんが撮られたものです。
こちらの精緻な写真、国会議事堂ですね、これは上院と下院がふせた形とオープンにした形と、ふたつにそれぞれ分かれていて、真ん中が議員のオフィスになっており、事務棟の建物が中心になっている。これは二川幸夫さんの写真です。
こういう風にして、表情を捉えていくのに複数の写真で見せています。

*展覧会ページはこちら *

MOTスタッフブログ