2014年03月27日(木)

現代美術で哲学対話

その他

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3月9日と23日の2回、「現代美術」を使って「哲学対話」を行いました。
「哲学対話」という言葉も聞き慣れませんが、
それよりも「哲学」というと、ないやら小難しい理屈をこねて、
作品をみるの? と思われる方もいるかもしれません。


しかし、心配は無用!
やることは非常に単純明快です。

当館の現代美術作品を鑑賞し、感じたことや疑問に思ったことから「問い」をたて、
その問いに対し一人ひとりが考えを深めていくというものです。
(これは、東京大学大学院教育学研究科と行っている連携協力の一環で、
大学院生の方が研究している、「対話を通した探求の場の形成」に関する調査研究も
かねています。 )


対象とした作品は、山口勝弘の《Cの関係》。
この作品は、Cのような形をした立体物が2つ向かい合って、
一方が赤く光り、もう片方は透明のまま。
それぞれの下方についているライトが互いに点滅しているというものです。

哲学対話ブログ2.jpg


この作品をじっくりと鑑賞し、「まるで対話しているようだ」、
「片方はぬけがらかもしれない」、「なにも感じない」、
などなど各自が思い浮かべた感想や考えを書きとめます。
そして、その感想からさらに「問い」を導きます。
例えば、「光が点滅すると無機的な物体が有機的に感じるのはなぜだろう?」とか
「感じる、感じないの境目は何だろう?」など。

そうした様々な問い立てを行って、参加者みんなで考えてみたい「問い」を選択し、
その問いについてじっくりと深く考えていくというのが「哲学対話」です。
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つまり作品は、「問い」を導くための素材となります。

しかし、問いが出てきたら作品はもう関係ないのかというとそうではなりません。
ある参加者のお一人がおしゃっていましたが、作品はまるでアンカー(碇)のように、
頭の片隅に固定されていて、考えている最中、作品は参加者のみなさんの思考の間を
たえず行ったり来たりしているのです。

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みなさんが立てた問いへの答えはありませんし、結論もでません。
深く深く考えることに意義がある「哲学対話」。

作品を鑑賞するのも同じで、作者の制作の意図はあっても、
それを知ることが「見ること」の答えではありません。
自分はなぜそのように感じたのだろう? なぜそんな風に思ったのだろう?
と、自問したり、仲間と話たりすることで、作品のもつ世界観はいかようにも広がっていきます。

哲学対話を通じて、作品の見方や感じ方に広がりをもったと同時に、
じっくりとひとつの問いについて考える贅沢な時間を過ごすことができました。(G)

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